ラリー・フリント
The People vs. Larry Flynt
(アメリカ 1996)
[製作] マイケル・ハウスマン/オリバー・ストーン/ジャネット・ヤング/スコット・ファーガソン/ジョージ・リナードス
[監督] ミロス・フォアマン
[脚本] スコット・アレクサンダー/ラリー・カラゼウスキー
[撮影] フィリップ・ルスロ
[音楽] トーマス・ニューマン
[ジャンル] 実話/ドラマ
[受賞]
ベルリン映画祭 金熊賞
ボストン批評家協会賞 助演男優賞(エドワード・ノートン)
シカゴ批評家協会賞 助演男優賞(エドワード・ノートン)
ゴールデン・グローブ賞 監督賞/脚本賞
LA批評家協会賞 助演男優賞(エドワード・ノートン)
ナショナル・ボード・オブ・レビュー 助演女優賞(コートニー・ラヴ)
ストーリー

ウディ・ハレルソン
(ラリー・フリント)

コートニー・ラヴ
(アルシア・リージャー)

エドワード・ノートン
(アラン・アイザックマン)
ブレット・ハレルソン (ジミー・フリント)
ドナ・ハノヴァー (ルース・カーター・ステイプルトン)

ジェームズ・クロムウェル
(チャールズ・キーティング)

クリスピン・グローヴァー
(アーロ)

ヴィンセント・スキャヴェリ
(チェスター)
マイルズ・チャピン (マイルズ)
ジェームズ・カーヴィル (サイモン・レイズ)
リチャード・ポール (ジェリー・ファルウェル)
バート・ニューボーン (ロイ・グラットマン)
ストーリー
ケンタッキー州の貧しい家庭に生まれたラリー・フリントは、ストリップ・クラブの経営を経て、宣伝用のパンフレットを発展させたポルノ雑誌『ハスラー』を創刊する。既存の『プレイボーイ』誌などとは一線を画す過激で下品な内容は、保守的な層から猛烈なバッシングを受けるが、雑誌は爆発的に売れ、彼は莫大な富を手にする。
最愛の妻アルシアと共に奔放な生活を送るラリーだったが、公序良俗に反するとして全米各地で裁判を起こされる。言論の自由を盾に法廷でやりたい放題のパフォーマンスを繰り広げる彼は、ある裁判の最中に銃撃され、下半身不随の身となってしまう。肉体的な苦痛とアルシアの薬物依存という悲劇に見舞われながらも、彼の戦いは終わらなかった。
物語のクライマックスは、キリスト教指導者とのパロディ広告を巡る名誉毀損裁判である。弁護士アランと共に最高裁判所まで上り詰めたラリーは、「嫌悪すべき表現であっても、それを守ることこそが自由の根幹である」と主張し、歴史的な勝利を収める。裁判後、最愛のアルシアをエイズで亡くしたラリーは、一人静かに彼女との思い出の映像を眺め、自らが勝ち取った自由の重みを噛み締める。
エピソード
コートニー・ラヴの驚異的な熱演
当時、私生活のトラブルで保険会社から出演を危ぶまれていたコートニー・ラヴですが、監督の強い推しでアルシア役を獲得しました。彼女の剥き出しの感情表現は絶賛され、数々の映画賞にノミネートされる伝説的な演技となりました。
エドワード・ノートンの抜擢
当時デビュー間もなかったノートンは、知的で冷静な弁護士アラン役を完璧に演じました。破天荒なラリーと理知的なアランの対照的なキャラクター構成が、法廷劇としてのクオリティを一段引き上げています。
本人によるカメオ出演
ラリー・フリント本人が、自分を裁く判事役として出演しています。自分自身の過去を、映画の中で客観的に「裁く」立場として演じるという、ユーモアと皮肉の効いたキャスティングが話題を呼びました。
本物の衣装と小道具
リアリティを追求するため、劇中でウディ・ハレルソンが着用しているアクセサリーの一部は、実際にラリー本人が所有していたものが貸し出されました。派手で成金趣味なフリント・スタイルが忠実に再現されています。
過激なポスターの騒動
ウディ・ハレルソンが星条旗を腰に巻き、十字架にかけられたような構図のポスターは、宗教団体などから激しい抗議を受けました。映画の内容さながら、宣伝ポスター自体が表現の自由の境界線を問う事態となりました。
ミロス・フォアマン監督の視点
共産主義体制下のチェコスロバキアから亡命した監督にとって、「不快な意見であっても守られるべき」という合衆国憲法修正第1条のテーマは、自身の人生観とも深く結びついた極めて重要なものでした。
まとめ:作品が描いたもの
本作は、一人の下卑たポルノ雑誌編集者が、図らずも「民主主義の守護神」へと昇華していく皮肉な英雄譚です。ラリー・フリントという人物は決して品行方正な人格者ではありませんが、彼が法廷で繰り返した戦いは、個人の嗜好を超えた表現の自由という普遍的な権利の尊さを問いかけます。
愛する妻との退廃的で切ない純愛を軸に据えながら、物語は法廷という戦場でアメリカの良心と偽善を鮮やかに描き出します。誰もが同意する意見を守ることは容易ですが、誰もが嫌悪する表現をどこまで許容できるかという問いは、多様な価値観が衝突する現代において、より切実な意味を持ちます。一人の男の孤独な闘争を通じて、自由という権利に伴う痛みと、それを守り抜くことの真の価値を観る者に突きつける、力強い人間ドラマです。


