銀行員が選んだのは、殺人という名の「清算」。チャップリンが放つ、最も毒に満ちた文明批評。

『一人の殺害は犯罪だが、数百万の殺害は英雄である』。大恐慌で解雇された善良な銀行員が、家族を養うために資産家女性を次々と手に掛ける。喜劇王チャップリンが放った、あまりにもブラックで冷徹な社会風刺劇。戦争と大量殺戮を肯定する近代社会の矛盾を、一人のシニカルな殺人者の姿を通して鋭く告発した、彼のキャリアにおける最大の意欲作。
殺人狂時代
Monsieur Verdoux
(アメリカ 1947)
[製作] チャールズ・チャップリン
[監督] チャールズ・チャップリン
[原案] オーソン・ウェルズ
[脚本] チャールズ・チャップリン
[撮影] ローランド・トザロー/カート・コーラント
[音楽] チャールズ・チャップリン
[ジャンル] コメディ
[受賞] ナショナル・ボード・オブ・レビュー 作品賞
キャスト

チャールズ・チャップリン
(アンリ・ヴェルドゥ他)
マディ・コレル (モナ)
アリソン・ロダン (ピーター)
ロバート・ルイス (モーリス・ボテロ)
オードリー・ベッツ (マルタ)
マルタ・レイ (アナベラ)
エイダ・メイ (アネット)
イザベル・エルソム (マリー)
マージョリー・ベネット (メイド)
エレーヌ・ヒー (イヴォンヌ)
マーガレット・ホフマン (リディア)
マリリン・ナッシュ (少女)

エドナ・パーヴァイアンス
(パーティ客)
受賞・ノミネートデータ
| 受賞年 | 賞 | 部門 | 結果 |
| 1948 | 第20回アカデミー賞 | 脚本賞 | ノミネート |
| 1947 | ナショナル・ボード・オブ・レビュー | 作品賞 | 受賞 |
評価
戦後の「赤狩り」の嵐が吹き荒れる中、チャップリンが自身のトレードマークである「浮浪者」を脱ぎ捨て、洗練された殺人紳士を演じた衝撃作です。オーソン・ウェルズが持ち込んだ実在の殺人鬼ランドリュの企画を、チャップリンがより深い社会への怒りを込めて昇華させました。
公開当時はその過激な内容と政治的メッセージによりアメリカ国内で激しいバッシングを浴びましたが、現在では、国家による暴力の正当化を問う、映画史上最も重要な文明批評映画の一本として高く評価されています。
あらすじ:愛のための「毒殺」ビジネス
世界恐慌の余波で、30年勤めた銀行を解雇されたアンリ・ヴェルドゥ(チャールズ・チャップリン)。足の不自由な妻と幼い息子の生活を守るため、彼は「ビジネス」として資産家の未亡人たちを誘惑し、結婚しては殺害してその財産を奪うという冷酷な生活を送り始める。
フランス各地で複数の偽名を使い分け、時に優雅に、時に必死に「業務」を遂行するヴェルドゥ。しかし、金に汚く生命力だけは異常に強いアン(マーサ・レイ)の殺害に何度も失敗するなど、彼の計算は次第に狂い始める。やがて第二次世界大戦の足音が近づく中、ついにヴェルドゥに年貢の納め時がやってくる。
家族を失い、絶望の中で警察に自首したヴェルドゥ。法廷で彼は、死刑判決を前にして毅然と言い放つ。「一人を殺せば悪党だが、百万人を殺せば英雄だ。数は殺人を神聖なものにする」。彼は自分の犯した「個人的な殺人」など、戦争という名の「国家による大量殺戮」に比べれば些末なものに過ぎないと喝破したのだ。
独房で最後の一杯のワインを飲み干し、静かにギロチン台へと向かうヴェルドゥ。かつて彼が救った浮浪者の娘が見守る中、彼は一瞬の迷いも見せず、背筋を伸ばして死刑執行の場へと歩み去っていく。一人の男の処刑と、世界を覆い尽くす戦争という巨大な狂気の対比を描き、物語は幕を閉じる。
エピソード・背景
- オーソン・ウェルズとの決裂と協力
もともとウェルズがランドリュの伝記映画にチャップリンを主演させようとしたのが発端。チャップリンは「他人の演出は受けない」と断りましたが、原案料として5000ドルを支払い、クレジットにウェルズの名を入れることでこの企画を自分のものにしました。 - 「浮浪者」の死
本作でチャップリンは、30年以上演じ続けてきた「小さな浮浪者」の衣装とメイクを完全に捨て去りました。その洗練された身のこなしと冷徹な表情は、ファンに大きな戸惑いを与えましたが、彼がコメディアンを超えた思想家へと変貌した瞬間でもありました。 - マーサ・レイとの爆笑の「殺し合い」
映画全体のトーンはシリアスですが、マーサ・レイ演じるアンとのシーンだけは、チャップリン往年のスラップスティック・コメディが炸裂します。ボートから突き落とそうとして自分が落ちるなど、彼女の強烈なキャラクターに振り回される姿は、本作における唯一の息抜きであり、同時に人間の「しぶとさ」への皮肉にもなっています。 - 過激なプレス・カンファレンス
公開時の記者会見で、政治的姿勢を問われたチャップリンは記者たちと激しく対立。「私は愛国者ではない、世界市民だ」という彼の発言は火に油を注ぎ、全米各地で上映禁止運動やボイコットが起こりました。 - セットに隠された意味
ヴェルドゥの家は整然としていながらどこか冷たく、彼の「計算された人生」を象徴しています。撮影のローランド・トサローは、ヴェルドゥの二面性を際立たせるため、家庭的なシーンと犯罪のシーンで光の質感を微妙に変える工夫を凝らしました。 - ラストシーンの足取り
ギロチンへ向かうヴェルドゥの後ろ姿は、かつて浮浪者のチャップリンが道の彼方へ去っていく後ろ姿と重なります。しかし、そこにあるのは希望ではなく、狂った世界を見捨てていく隠遁者のような、静かなる決別でした。 - 脚本賞への唯一のノミネート
アカデミー賞の主要部門からは黙殺されましたが、脚本賞にのみノミネートされました。これは、ハリウッド内部でも彼の才能と、本作が投げかけた問いの鋭さを無視できなかったことの証左と言えます。
まとめ:作品が描いたもの
本作は、「狂った社会で、正気に戻ることの不可能性」を描いています。ヴェルドゥの犯罪は決して肯定されるべきものではありませんが、彼をそうさせたのは、長年の献身を平気で切り捨てる資本主義の冷酷さと、殺人を数で競う国家の欺瞞でした。
チャップリンは、笑いの影に隠されていた「怒り」を、本作で初めて真正面から表現しました。ギロチンへと向かうヴェルドゥの足音は、戦後の平和という仮面の下で、再び武器を手に取ろうとする人類への、悲痛な警告の音でもあったのです。
〔シネマ・エッセイ〕
ワイングラスを傾け、死刑執行人さえも洗練されたマナーでもてなすヴェルドゥの姿。そのあまりに優雅な立ち振る舞いが、かえって彼を取り巻く世界の歪さを際立たせます。チャップリンの瞳に宿る、冷たく透徹した知性。かつて私たちを笑わせたあの柔らかな眼差しは、ここでは鋭いメスとなって、文明という名の虚飾を切り裂いていきます。
札束を数える手つきの鮮やかさと、毒薬を調合する際の見事な手際。そのどれもが「生きるための仕事」として描かれる時、私たちの道徳観は激しく揺さぶられます。
処刑場へと向かう、あのあまりに真っ直ぐな後ろ姿。世界が狂気に飲み込まれていく中で、彼は死ぬことによって唯一、自分だけの正気を証明したのかもしれません。ギロチンの刃が落ちる前の、あの不気味なほどの静寂。それは、数百万の死を「平和」の名で呼ぶ私たちに対して、チャップリンが残した、最もにがく、最も誠実な贈り物だったのでしょう。

