隠し持ったカメラが捉えた、占領下の慟哭。ネオレアリズモの産声、そして世界の映画を根底から変えた真実の記録。

ナチス占領下のローマ、弾圧と飢えに抗う民衆の姿を、終戦直後の混乱の中でロベルト・ロッセリーニが密かに撮り上げた。映画史を塗り替えた『ネオレアリズモ』の出発点であり、アンナ・マニャーニが叫びながら絶命するあの数秒間は、イタリア映画の魂が刻まれた最も衝撃的な名シーンとして語り継がれている。
無防備都市
Roma, Città Aperta
(イタリア 1945)
[製作] ジュゼッペ・アマート/フェルッチオ・デ・マルティーノ/ロベルト・ロッセリーニ
[監督] ロベルト・ロッセリーニ
[原作] セルジオ・アミデイ/アルベルト・コンシリオ
[脚本] セルジオ・アミデイ/フェデリコ・フェリーニ/ロベルト・ロッセリーニ
[撮影] ウバルド・アラータ
[音楽] レンツォ・ロッセリーニ
[ジャンル] ドラマ/戦争
[受賞]
カンヌ映画祭 グランプリ
ナショナル・ボード・オブ・レビュー 主演女優賞(アンナ・マニャーニ)/外国映画賞
NY批評家協会賞 外国語映画賞
キャスト
アルド・ファブリーツィ (ドン・ピエトロ・ペレグリーニ神父)

アンナ・マニャーニ
(ピナ)
マルチェロ・パリエーロ (ジョルジオ・マンフレディ)
ヴィトー・アンニチアリコ (マルチェロ)
ナンド・ブルーノ (アゴスティーノ)
ハリー・ファイスト (バーグマン)
ジョヴァンナ・ギャレッティ (イングリッド)
マリア・ミーチ (マリナ・マリ)
受賞・ノミネートデータ
| 受賞年 | 賞 | 部門 | 結果 |
| 1946 | 第1回カンヌ国際映画祭 | グランプリ(作品賞) | 受賞 |
| 1946 | ナショナル・ボード・オブ・レビュー | 外国語映画賞 | 受賞 |
| 1947 | 第19回アカデミー賞 | 脚本賞 | ノミネート |
| 1947 | ニューヨーク映画批評家協会賞 | 外国語映画賞 | 受賞 |
評価
ナチス・ドイツが去った直後のローマで、不足していたフィルムをかき集め、実際の場所で、実際の出来事に基づいて撮られたこの作品は、世界の映画史を「無防備都市以前と以後」に分けたと言われるほどの影響を与えました。粗い映像がもたらす圧倒的なリアリティと、演技の経験がない素人とプロが混ざり合ったアンサンブルは、それまでの作り込まれた「映画的虚構」を打ち砕きました。冷徹なまでの観察眼と、抑圧される人々への熱い共感が同居する、不滅の傑作です。
あらすじ:灰色のローマ、抵抗の火
1944年、ナチス占領下のローマ。レジスタンスの指導者ジョルジオ(マルチェロ・パリエーロ)は、ゲシュタポの追跡を逃れて仲間の家に身を寄せる。そこには、結婚式を間近に控えた身重の女性ピーナ(アンナ・マニャーニ)と、その婚約者がいた。
彼らを陰で支えるのは、信仰と愛国心の間で揺れながらも正義を貫こうとするピエトロ神父(アルド・ファブリーツィ)。しかし、愛と裏切り、そして非道な拷問が彼らの運命を狂わせていく。銃声が響き渡る街角で、名もなき市民たちの抵抗と犠牲が積み重なっていく。
一斉検挙の最中、連行される婚約者を追いかけて路上に飛び出したピーナは、ナチスの銃弾に倒れ、息絶える。ジョルジオとピエトロ神父もまた捕らえられ、ジョルジオは凄惨な拷問に屈することなく命を落とす。
神父もまた、ドイツ将校からの説得を拒み、銃殺刑に処せられる。その刑場を見守っていたのは、レジスタンス活動を手伝っていた子どもたちだった。神父の最期を見届けた少年たちは、重い足取りで、けれど未来へと向かって、夕暮れのローマの街へと歩き出すところで物語は幕を閉じる。
エピソード・背景
- 秘密の撮影
ナチス撤退からわずか数ヶ月後、まだ連合軍が駐留している混乱期に撮影が開始されました。資金が底を突き、ロッセリーニは自らの家具を売って製作費を捻出しました。 - フィルムの継ぎはぎ
満足な資材がないため、当時手に入るあらゆる種類のフィルム(報道用や切れ端など)を繋ぎ合わせて撮影されました。この「粗さ」が、図らずもドキュメンタリーのような迫真性を生みました。 - 若きフェリーニの参加
脚本には、後に巨匠となる若き日のフェデリコ・フェリーニが参加。物語に深みと人間味を与えています。 - アンナ・マニャーニの魂
当時コメディエンヌとして知られていたマニャーニを起用。彼女が泥だらけになって叫ぶシーンは、イタリア女性の強さと悲しみの象徴となりました。 - 実録に基づいた神父
アルド・ファブリーツィが演じた神父には、実際にナチスに処刑された二人の実在の神父というモデルが存在します。 - レンツォ・ロッセリーニの音楽
監督の弟であるレンツォが担当。低く重厚な旋律が、占領下の圧迫感と、去りゆく者への鎮魂歌(レクイエム)として機能しています。 - ウバルド・アラータの即興
撮影のアラータは、照明機材も満足にない中、自然光を最大限に活かし、ニュース映画のような生々しい質感を創り出しました。
まとめ:作品が描いたもの
『無防備都市』は、歴史の教科書が語ることのない、路地裏の真実をフィルムに刻みました。英雄ではなく、明日を生きるために戦い、倒れていった普通の人々の姿。そこには、映画が「見世物」ではなく「証言」であることを宣言した、ロッセリーニの覚悟が宿っています。
ラストシーン、子どもたちが肩を並べて歩く後ろ姿は、絶望の淵に咲いた唯一の希望でした。本人の映画人生は、こうした現実の傷口を見つめ続け、飾らない人間の生と死を銀幕に映し出すことで、世界中の映画人たちに「真実を語る勇気」を与えたものと言えるでしょう。
〔シネマ・エッセイ〕
ウバルド・アラータが捉える、埃っぽいローマの石畳。アンナ・マニャーニの黒い髪が風に乱れ、彼女が「フランチェスコ!」と叫びながらトラックを追う姿は、何度観ても心に激震が走ります。それは演技を越えた、剥き出しの命の叫びそのものです。
レンツォ・ロッセリーニの音楽が、静かに、けれど逃れられない運命の足音のように響きます。拷問室の隣でシャンパンを飲むドイツ将校の冷酷さと、沈黙を守り通して死にゆく者の高潔さ。その強烈なコントラストが、私たちの良心に鋭く問いかけてきます。
子どもたちが歩き去るラストショット。カメラは彼らを追うのをやめ、遠くからその背中を見つめます。映画が終わった後も、私たちはその少年たちと共に、重い歴史の荷物を背負いながら、けれど光のある方向へ歩き出さなければならないという、静かな、けれど力強い決意を受け取るのです。

