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黒水仙 Black Narcissus 1947 |キャスト・あらすじ【ネタバレ】

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ヒマラヤの絶壁に狂い咲く情念の色彩。マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガーが到達した、視覚芸術の極致。

ヒマラヤの峻険な崖の上に建つ、かつての宮殿を改造した修道院。高地の希薄な空気と、異教の地の不可思議な風習は、奉仕に燃える5人の尼僧たちの信仰を静かに蝕んでいく。光と影、そして燃えるような色彩を操る撮影監督ジャック・カーディフの映像美が、抑圧された欲望と狂気が火を噴く瞬間を、息を呑むような筆致で描き出したパウエル=プレスバーガーの最高傑作。

黒水仙
Black Narcissus
(イギリス 1946)

[製作] マイケル・パウエル/エメリック・プレスバーガー/ジョージ・R・バスビー
[監督] マイケル・パウエル/エメリック・プレスバーガー
[原作] ルーマー・ゴッデン
[脚本] マイケル・パウエル/エメリック・プレスバーガー
[撮影] ジャック・カーディフ
[音楽] ブライアン・イースデイル
[ジャンル] ドラマ
[受賞]
アカデミー賞 美術監督賞/撮影賞
ゴールデン・グローブ賞 撮影賞
NY批評家協会賞 主演女優賞(デボラ・カー)

キャスト

デボラ・カー
(シスター・クロダー)

デヴィッド・ファラー (ディーン)
フローラ・ロブソン (シスター・フィリッパ)
サブー (ディリップ・ライ将軍/若き将軍)
エスモンド・ナイト (老将軍)

ジーン・シモンズ
(カンチ)

キャスリーン・バイロン (シスター・ルース)
ジェニー・レアード (シスター・ハニー)
ジュディス・ファース (シスター・ブリオニー)
メイ・ハラット (アング・アヤ)
エディ・ホェーリー・ジュニア (ジョゼフ・アンソニー)
ショーン・ノーブル (クロダーの初恋相手)
ナンシー・ロバーツ (マザー・ドロシア)
レイ・オン (フーバ)

受賞・ノミネートデータ

受賞年部門結果
1948第20回アカデミー賞撮影賞(カラー部門)受賞
1948第20回アカデミー賞美術賞(カラー部門)受賞
1947ニューヨーク映画批評家協会賞女優賞(デボラ・カー)受賞
1947ゴールデングローブ賞撮影賞受賞

評価

ジャック・カーディフが手がけたテクニカラーの映像は、映画史上最も美しいものの一つとして数えられ、現在も多くの監督たちに影響を与え続けています。特筆すべきは、ヒマラヤの壮大な風景のほとんどが、イギリス国内のスタジオに組まれた巨大なセットと精巧なマット画(背景画)によって創り出されたという点です。ブライアン・イースデイルの音楽が、異国情緒あふれる旋律で尼僧たちの心理的な動揺を増幅させ、信仰という「理」が自然の「業」に屈していく過程をスリリングに描き出しました。


あらすじ:聖域を揺るがす禁断の風

ヒマラヤ山脈の標高2,400メートルに位置する「モープ」という村。かつての貴族のハーレムであった古い宮殿に、教育と医療を広めるため5人の尼僧がやってくる。若きシスター・クローダ(デボラ・カー)を責任者とする一行は、過酷な環境の中で活動を開始するが、そこには常に強烈な風が吹き荒れ、人々の心を不安定にさせた。

宮殿の管理人である英国人ディーン(デヴィッド・ファーラー)の野性的な魅力、そして現地の娘カンチ(ジーン・シモンズ)と若い王子(サブー)の奔放な愛が、尼僧たちの禁欲的な生活に波紋を広げる。中でもシスター・ルース(キャスリーン・バイロン)は、ディーンへの激しい恋情から次第に正気を失い、クローダとの間に致命的な亀裂が生じていく。


嫉妬に狂ったルースは、尼僧の服を脱ぎ捨て、真っ赤な口紅を引いてクローダの前に現れる。嵐の夜、教会の鐘楼でクローダを突き落とそうとするルース。しかし、激しい揉み合いの末、足を踏み外して絶壁へと消えていったのはルース自身だった。

事件後、信仰と奉仕の限界を悟ったクローダたちは、ヒマラヤを去る決意をする。土砂降りの雨の中、ディーンに別れを告げるクローダ。彼女の瞳には、以前の厳格さはなく、人間としての悲しみと受容の光が宿っていた。修道院としての活動は失敗に終わったが、彼女たちは自分たちの内なる深淵を覗き込み、新たな自分として山を下りていくのだった。


エピソード・背景

  • スタジオ撮影の奇跡
    画面を支配する壮大なヒマラヤの山々は、実はガラス板に描かれたマットペインティングです。その精巧さは、後にマーティン・スコセッシが「本物のロケより真実味がある」と絶賛したほどです。
  • ジャック・カーディフの光
    画家フェルメールの影響を受けたというカーディフのライティングは、尼僧の白いベールの陰影ひとつで、彼女たちの抑制された欲望を表現しました。
  • キャスリーン・バイロンの鬼気迫る演技
    ルースが真っ赤な目を見開き、口紅を塗って現れるシーンは、映画史上屈指の恐怖シーンとして語り継がれています。
  • デボラ・カーのハリウッド進出
    本作での凛とした美しさが認められ、デボラ・カーはハリウッドへと招かれ、世界的なスターへの道を歩み始めました。
  • ブライアン・イースデイルのプレ・コンポーズ
    一部のシーンでは、音楽を先に作曲し、そのリズムに合わせて撮影や編集を行うという画期的な手法が取られました。
  • ジーン・シモンズの変身
    当時新星だった彼女が、一言も喋らずに目つきと踊りだけで誘惑的な現地の娘を演じ切り、その多才さを見せつけました。
  • 検閲との戦い
    尼僧の情欲を描くという内容は、当時のカトリック団体から激しい抗議を受け、アメリカ公開時には一部の回想シーンなどがカットされる憂き目に遭いました。

まとめ:作品が描いたもの

『黒水仙』は、文明が自然に、そして理性が本能に敗北していく過程を、圧倒的なビジュアルで描いた魂のドラマです。タイトルの「黒水仙」は、王子が愛用していた香水の名前。その香りが象徴するように、聖なる場所に持ち込まれた俗界の誘惑が、いかに容易く信仰の壁を崩していくかを突きつけます。

ジャック・カーディフが映し出した絶壁の淵。そこは、人間が自分自身の正体と向き合わなければならない境界線でした。この物語は、映像という魔法を使って、人間の内面に潜む「情熱の嵐」をこの世で最も美しく可視化した一頁と言えるでしょう。


〔シネマ・エッセイ〕

ジャック・カーディフが捉える、夕陽に染まるヒマラヤの氷壁。ブライアン・イースデイルの音楽が、現地の太鼓の音と混ざり合い、静寂の中に不穏な鼓動を刻みます。私たちは、デボラ・カーの透き通るような肌の上に落ちる深い影に、彼女が押し殺してきた過去の記憶と、揺らぐ信仰のゆくえを見ます。

鐘楼での惨劇。あの極彩色の悪夢のような映像美は、一度見たら一生忘れられません。美しさが恐怖に変わる瞬間を、これほど鮮烈に描いた映画が他にあるでしょうか。

映画が終わった後、私たちの心に残るのは、雨に煙る山道を去っていく尼僧たちの後ろ姿です。聖者でもなく、ただの脆い一人の人間として。その姿は、理想と現実の間で足掻くすべての人々の魂を、優しく、そして冷徹に照らし出しているのです。

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