毛布の壁も、ヒッチハイクも、すべては恋の魔法。

わがままな令嬢と失業中の新聞記者が、長距離バスで乗り合わせることから始まる運命の旅。スクリューボール・コメディの金字塔であり、ヒッチハイクの駆け引きから『ジェリコの壁』まで、映画史に残る名シーンが凝縮された不朽の名作。
或る夜の出来事
It Happened One Night
(アメリカ 1934)
[製作] ハリー・コーン
[監督] フランク・キャプラ
[脚本] サミュエル・ホプキンス・アダムス/ロバート・リスキン
[撮影] ジョゼフ・ウォーカー
[音楽] ハワード・ジャクソン/ルイス・シルヴァーズ
[ジャンル] ロマンス/コメディ
[受賞]
アカデミー賞作品賞/監督賞(フランク・キャプラ)/主演男優賞(クラーク・ゲーブル)/主演女優賞(クローデット・コルベール)/脚色賞/録音賞
キャスト

クラーク・ゲーブル
(ピーター・ウォーン)

クローデット・コルベール
(エリー・アンドリュース)
ウォルター・コノリー (アレクサンダー・アンドリュース)
ロスコー・カーンズ (オスカー・シェイプリー)
ジェームソン・トーマス (ウエストリー)
アラン・ヘイル (ダンカー)
アーサー・ホイト (ジーク)
ブランチ・フレデリッチ (ジークの妻)
チャールズ・C・ウィルソン (ジョー・ゴードン)
受賞・ノミネートデータ
- 1934年 第7回アカデミー賞
- 受賞:作品賞、監督賞(フランク・キャプラ)、主演男優賞(クラーク・ゲーブル)、主演女優賞(クローデット・コルベール)、脚色賞
- 評価
- アカデミー賞の主要5部門(作品・監督・主演男優・主演女優・脚色)を独占する「グランドスラム」を史上初めて達成した伝説的な作品です。当初は低予算のB級映画として扱われていましたが、公開されるやいなや観客を虜にし、現在でもラブコメディの完璧な教科書として、圧倒的な支持を誇っています。
ストーリー
資産家の娘エリー(クローデット・コルベール)は、父の反対を押し切って飛行士との結婚を強行しようとし、マイアミの豪華客船から海へ飛び込んで逃亡する。彼女がニューヨークを目指して乗り込んだ長距離バスで隣り合わせたのは、失業中の新聞記者ピーター(クラーク・ゲーブル)であった。
ピーターは彼女の正体に気づき、独占記事にする代償として彼女の旅を助けることを提案する。金銭感覚も価値観も全く異なる二人の旅は、一筋縄ではいかない。バスが立ち往生し、野宿や安宿での宿泊を余儀なくされる中で、二人は衝突を繰り返しながらも、次第に相手の飾らない素顔に惹かれていく。
旅の終わり、ピーターはエリーへの愛を自覚し、結婚の準備のために一時彼女を置いて出かけるが、行き違いからエリーはピーターに捨てられたと誤解してしまう。失意のエリーは父のもとへ帰り、予定通り婚約者との結婚式に臨む。
しかし、娘が本当に愛しているのはピーターだと悟った父の計らいで、エリーは式場の祭壇から逃げ出し、ピーターのもとへと向かう。最後は、二人が泊まる宿で、彼らを隔てていた毛布の仕切り「ジェリコの壁」が崩れ落ちる。それは、二人の間の障壁が完全になくなったことを象徴する、最高にロマンチックなハッピーエンドであった。
エピソード・背景
- クラーク・ゲーブルの「肌着」事件
劇中でクラーク・ゲーブルがシャツを脱いだ際、アンダーシャツを着ていなかったことが原因で、全米のアンダーシャツの売上が激減したという嘘のような本当のエピソードがあります。彼のワイルドな魅力がどれほど観客に影響を与えていたかを物語っています。 - ヒッチハイクの伝説的シーン
道路脇でピーターがドヤ顔で様々なヒッチハイクのテクニックを披露しても一台も止まらない中、エリーがスカートの裾を少し持ち上げて脚を見せた瞬間に車が急ブレーキをかけるシーンは、映画史に残るコメディの極致です。 - 「ジェリコの壁」の知恵
未婚の男女が同じ部屋に泊まることを隠すため、部屋の真ん中にロープを張り、毛布を吊るして仕切りにしたものをピーターは「ジェリコの壁」と呼びました。これは当時の厳しい検閲(ヘイズ・コード)を逆手に取った、フランク・キャプラ監督の非常に知的な演出です。 - 消極的だった主演二人
実はクラーク・ゲーブルもクローデット・コルベールも、最初は出演に乗り気ではありませんでした。ゲーブルは他社への「貸し出し」という形での出演で、コルベールに至っては「世界で一番ひどい映画を撮り終えたわ」と友人に漏らしていたほどでしたが、結果として二人にオスカーをもたらすことになりました。 - ドーナツの食べ方指導
ピーターがエリーに「ドーナツはコーヒーに浸して食べるのが通なんだ」と教えるシーンなど、日常の何気ない動作にキャラクターの個性を投影する手法は、後の多くの映画に影響を与えました。 - 脚本の妙
監督のフランク・キャプラと脚本のロバート・リスキンは、移動手段としてのバスや、庶民的なキャンプ場という舞台設定を巧みに使い、大恐慌時代の人々に「お金がなくても幸せになれる」という希望を、説教臭くなく届けることに成功しました。
まとめ:作品が描いたもの
『或る夜の出来事』は、単なる「身分違いの恋」という枠を超え、現代に至る「ロマンチック・コメディ」の構造を完成させた金字塔といえます。エリーは単なる「守られる令嬢」ではなく、ピーターをやり込めるほどの知性と度胸を持ち合わせており、二人が対等な立場で言葉の応酬を繰り広げる姿は、当時の観客に新しい男女像を提示しました。
また、本作は大恐慌時代の真っ只中に公開されましたが、フランク・キャプラ監督は「長距離バス」や「安宿」といった庶民的な舞台設定を巧みに使い、贅沢な暮らしよりも「信頼できるパートナーとの自由な旅」にこそ真の価値があるというメッセージを、説教臭くなく、軽やかに描き出しました。
「ジェリコの壁」に象徴される、二人の間にある物理的・心理的な障壁が、旅の終わりと共に美しく崩れ去る。そのカタルシスは、時代や国境を超えて、今なお観る者の心を温め続けています。後の『ローマの休日』をはじめとする数多くのラブコメの名作たちが、こぞって本作のDNAを継承していることも、その歴史的な完成度の高さを証明しています。
〔シネマ・エッセイ〕
「ロマンチック・コメディ」という魔法の原点がどこにあるかと聞かれたら、私は迷わずこの作品を挙げます。クラーク・ゲーブルの少し皮肉屋だけど頼りになる雰囲気と、クローデット・コルベールの勝気でチャーミングな瞳。二人の火花が散るようなやり取りを観ているだけで、心が弾んでしまいます。
特に、深夜の草むらで干し草に埋もれながら語り合うシーン。豪華な宮殿よりも、二人で過ごす不自由な旅の空の下の方がずっと輝いて見えるのは、映画という魔法が成せる技ですね。「ジェリコの壁」が最後にバサリと落ちるあの瞬間、観ている私たちの心の壁も一緒に解けていくような、素晴らしい爽快感に包まれます。
大げさな愛の告白よりも、一緒にドーナツを食べたり、ヒッチハイクで競い合ったりする姿にこそ、本当の愛が宿っている。そんなことを教えてくれる、世界で一番オシャレな「夜の出来事」です。

