禁じられた情熱、崩壊する気高き日常。文豪トルストイが描いた愛の終着駅

帝政ロシアの社交界、高官の妻アンナは若き将校ヴロンスキーと運命的な恋に落ちる。家族も地位も捨てて愛に奔った彼女を待ち受けていたのは、冷酷な世間の目と、狂おしいまでの嫉妬だった。グレタ・ガルボの神々しいまでの悲劇性が光る文芸大作。
アンナ・カレニナ
Anna Karenina
(アメリカ 1935)
[製作] デヴィッド・O・セルズニック/クラレンス・ブラウン
[監督] クラレンス・ブラウン
[原作] レフ・トルストイ
[脚本] クレメンス・ダン/サルカ・ヴェルテル/S・N・ベアマン
[撮影] ウィリアム・H・ダニエルズ
[音楽] ハーバート・ストザート
[ジャンル] 恋愛/ドラマ
[受賞]
NY批評家協会賞主演女優賞(グレタ・ガルボ)
ヴェネツィア映画祭外国映画賞
キャスト

グレタ・ガルボ
(アンナ・カレニナ)

フレドリック・マーチ
(ヴロンスキー)
フレディ・バーソロミュー (セルゲイ)

モーリン・オサリヴァン
(キティ)
メイ・ロブソン (ウロンスキー伯爵夫人)
バジル・ラスボーン (カレーニン)
レジナルド・オーウェン (スティワ)
フィービー・フォスター (ドリー)
受賞・ノミネートデータ
- 1935年 ヴェネツィア国際映画祭
- 受賞:最優秀外国映画賞(ムッソリーニ杯)
- 1935年 ニューヨーク映画批評家協会賞
- 受賞:主演女優賞(グレタ・ガルボ)
- 評価
- ガルボにとっては、サイレント時代の1927年版に続く2度目のアンナ役。本作は、デヴィッド・O・セルズニック製作によるトーキー版の決定版として称賛されています。ガルボの神秘的な美しさと、子役時代のフレディ・バーソロミューとの母子愛のシーンは特に高く評価されています。
あらすじ:運命の邂逅と破滅への序曲
19世紀末、ロシア。サンクトペテルブルクの政府高官カレーニン(バジル・ラズボーン)の妻であり、一人息子を愛する貞淑な女性アンナ(グレタ・ガルボ)。彼女は、兄の家庭騒動を収めるために訪れたモスクワの駅で、若く魅力的な騎兵大尉ヴロンスキー(フレドリック・マーチ)と出会う。
ヴロンスキーの情熱的なアプローチに、当初は拒絶していたアンナだったが、やがて抑えきれない愛に身を投じていく。不倫の事実は社交界の醜聞となり、厳格な夫カレーニンからは息子との面会を禁じられる。地位も名誉も、そして最も愛する息子さえも失ったアンナは、ヴロンスキーと共にイタリアへと逃れるが、二人の幸福は長くは続かなかった。
ロシアに戻った二人を待っていたのは、冷ややかな社交界の無視と、孤独に苛まれるアンナの妄想だった。ヴロンスキーの愛が冷めていくことに怯える彼女は、次第に激しい嫉妬に狂っていく。
ある日、ヴロンスキーが自分を捨てて他の女性と結婚すると思い込んだアンナは、絶望の淵で駅へと向かう。蒸気機関車の重々しい音と、もうもうと立ち込める煙。彼女はかつて彼と出会ったその場所で、自らの命を線路へと投げ出した。彼女の死後、残された人々には深い後悔と虚無感だけが漂うのだった。
エピソード・背景
- ガルボ二度目のアンナ役
サイレント版での経験を活かし、ガルボは本作で「成熟した女性の苦悩」をより深く表現しました。彼女はこの役を非常に愛しており、撮影中はアンナになりきるため、現場でも一切の私語を慎んだと言われています。 - フレドリック・マーチの苦悩
当時トップスターだったマーチですが、ガルボの圧倒的なオーラと「ガルボ・ルール(撮影中はスタッフ以外の立ち入り禁止など)」に気圧され、撮影中はかなり緊張していたという逸話があります。 - 完璧なキャスティング
夫カレーニンを演じたバジル・ラズボーンの冷徹な演技は、アンナの悲劇を際立たせる見事なものでした。また、息子役のフレディ・バーソロミューは、当時「天才子役」として全米の涙を誘いました。 - 豪華な美術と衣装
MGMが誇る衣装デザイナー、エイドリアンが手がけた豪華なドレスの数々は、19世紀ロシアの貴族文化を完璧に再現しており、ガルボの美しさを芸術の域まで高めています。 - 文豪の精神の映画化
トルストイの膨大な原作を凝縮するにあたり、アンナの心理描写に焦点を絞った演出は、後の文芸映画のモデルとなりました。 - 駅のシーンのリアリズム
ラストの自殺シーンでは、実際に巨大な蒸気機関車をスタジオに持ち込み、大量の煙と光を使ってアンナの混乱した精神状態を表現しました。
まとめ:作品が描いたもの
『アンナ・カレニナ』が描くのは、古い道徳観に縛られた社会の中で、自由な愛を求めた女性の「高潔な反逆」とその代償です。アンナの悲劇は、単なる不倫の末路ではなく、自己のアイデンティティと社会の不条理の間で引き裂かれた魂の叫びでもあります。
ガルボという不世出の女優が持つ「孤独」のイメージが、このアンナというキャラクターと完璧に融合し、映画史に残る切なくも美しい文芸ドラマの傑作を作り上げました。
〔シネマ・エッセイ〕
汽笛の音と共に流れるガルボの横顔。あの時、彼女の瞳には何が映っていたのでしょうか。愛への渇望か、それとも息子を捨てた罪悪感か。ガルボの演技は、言葉にできないほど多層的な感情を私たちに突きつけてきます。
「アンナ・カレニナ」という物語は何度も映画化されていますが、この1935年版にある「重厚な静寂」は特別です。華やかな舞踏会のシーンでさえ、どこか冷ややかな死の影が忍び寄っているような演出。そこに生きるガルボは、まるで自分自身を燃やして輝く星のようです。
愛にすべてを賭けることは狂気なのか、それとも真実の生なのか。線路に身を投じる直前、彼女が見せた一瞬の安らかな表情に、その答えが隠されているような気がしてなりません。

