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生きるべきか死ぬべきか To be or Not to be 1942

1940

生きるべきか死ぬべきか(字幕版)

生きるべきか死ぬべきか(字幕版)

生きるべきか死ぬべきか
To be or Not to be

(アメリカ 1942)

[監督] エルンスト・ルビッチ
[原作] エルンスト・ルビッチ/メルコワ・レンジェル
[脚本] エドウィン・ジャスタス・メイヤー
[撮影] ルドルフ・マテ
[音楽] ウェルナー・R・ヘイマン/ミクロス・ローザ
[ジャンル] コメディ/ドラマ/戦争


キャスト

キャロル・ロンバード
(マリア・トゥーナ)

ジャック・ベニー (ジョゼフ・トゥーナ)
ロバート・スタック (スタニスラフ・ソビンスキー)
フェリックス・ブレサール (グリーンバーグ)
ライオネル・アトウィル (ロウィッチ)
スタンリー・リッジス (アレクサンダー・シレットスキー)
シグ・ルーマン (エアハート大佐)
トム・ドゥーガン (ブロンスキー)
チャールズ・ハルトン (ドボシュ)
ジョージ・リン (俳優)



ストーリー

『生きるべきか死ぬべきか』は、1942年に公開されたアメリカのブラックコメディ映画。監督はエルンスト・ルビッチ、主演はジャック・ベニーとキャロル・ロンバード。映画は、第二次世界大戦中のナチス占領下のポーランドで、俳優たちがスパイ活動を展開しながらナチスに立ち向かう姿を描いている。ルビッチの独特のウィットと風刺が光る作品で、キャロル・ロンバードの遺作としても知られている。

物語は、ワルシャワの劇団が、ナチスを風刺する舞台劇を準備しているところから始まる。劇団の中心人物である俳優ヨゼフ・トゥラ(ジャック・ベニー)とその妻で女優のマリア(キャロル・ロンバード)は、ナチスの台頭に対して反感を抱いている。

しかし、ナチスがポーランドに侵攻すると、劇団は舞台を続けることができなくなる。そんな中、マリアは若いパイロットのスタニスラフ・ソビンスキー(ロバート・スタック)から協力を求められ、彼らはスパイ活動に巻き込まれることになる。彼らは、ナチスの高官に成りすまし、重要な情報を盗み出す計画を立てる。

中盤では、ヨゼフとマリア、そして劇団の仲間たちが、ナチスの監視をかわしながら計画を実行に移す。彼らは舞台の技術や演技力を駆使し、ナチス高官たちを欺き、情報を手に入れるために命がけの演技を行う。緊張感とユーモアが入り混じる中で、彼らの計画は次第にクライマックスを迎える。

エピソード

キャロル・ロンバードの遺作:
キャロル・ロンバードは、この映画の撮影を終えた後、1942年1月にネバダ州で発生した飛行機事故で亡くなった。彼女の死は映画業界に衝撃を与え、彼女の最後の作品としてこの映画は特別な意味を持つことになった。

ロンバードの飛行機事故:
この事故の背景には、ロンバードが夫であるクラーク・ゲーブルと共に過ごす時間を増やしたいという願いがあったとされている。彼女は戦時中の売り上げ債券のキャンペーンを早く終わらせ、ゲーブルの元に戻るために急いで帰路についたのだった。

キャロル・ロンバードの死後、夫であるクラーク・ゲーブルは深い悲しみに暮れ、彼女の遺作となったこの映画を見ることができなかったと言われている。


「ルビッチ・タッチ」:
監督のエルンスト・ルビッチは、風刺とウィットに富んだ演出スタイルで知られており、この映画でもその「ルビッチ・タッチ」が遺憾なく発揮されている。特に、ナチスをテーマにした大胆なコメディは、当時としては非常に革新的だった。

ブラックコメディの先駆け:
この映画は、ブラックコメディのジャンルにおける先駆的な作品として評価されている。ナチスドイツというシリアスな題材を扱いながらも、巧妙にユーモアを織り交ぜる手法は、多くの後続作品に影響を与えた。

ジャック・ベニーのシェイクスピア:
主人公ヨゼフ・トゥラが劇中で「To be or not to be(生きるべきか死ぬべきか)」のセリフを繰り返すシーンは、ベニーの演技のハイライトの一つとして知られている。これは、シリアスなテーマとコメディの要素を絶妙に融合させた象徴的な場面である。

撮影スケジュール:
撮影は非常にタイトなスケジュールで進行した。特にロンバードは、戦時中の愛国心を高めるための講演活動に参加しており、その間にも撮影を続けるという過密なスケジュールをこなしていた。

公開時の論争:
映画は第二次世界大戦中に制作され、ナチスを題材にしたコメディという内容が一部の批評家や観客から批判を受けた。特に、ナチスによるユダヤ人迫害が現実の問題となっていた時期であったため、そのようなシリアスな題材を笑いに変えることが適切かどうかについて議論があった。

映画タイトルの由来:
タイトルの「To Be or Not to Be(生きるべきか死ぬべきか)」は、シェイクスピアの『ハムレット』から引用されている。このセリフは、劇中でも象徴的な役割を果たし、キャラクターたちが生死をかけた選択に直面する状況を反映している。

検閲問題:
当時の厳しい検閲制度のもとで、ナチスを風刺するいくつかのシーンやセリフが問題視され、スタジオ側から削除や修正を求められる場面もあった。しかし、ルビッチは可能な限り彼のユーモアを保とうと努力した。

エルンスト・ルビッチの演出スタイル:
ルビッチは、俳優たちに細かい演技指導をすることで知られていたが、特に本作では、シリアスなテーマを扱いながらもコメディとして成立させるため、繊細な演出が求められた。彼は、俳優たちが自然にユーモアを演じられるよう、現場でリラックスした雰囲気を作ることに努めた。

ロンバードのユーモア:
撮影中、ロンバードはよく即興でジョークを飛ばし、現場を笑いに包んでいた。彼女の明るい性格とユーモアのセンスが、撮影現場の雰囲気を和らげた。
撮影中、ロンバードが現場でキャストやクルーに対して親切だったため、彼女が「現場の母」として知られていたという話がある。彼女は、誰に対しても親身に接し、その温かさが現場を一つにまとめていた。

ロンバードとベニーの関係:
撮影中、キャロル・ロンバードとジャック・ベニーは非常に親しい関係を築いた。二人は共演者としてだけでなく、撮影の合間にも多くの冗談を交わし、特にロンバードはベニーのユーモアセンスを非常に尊敬していた。

撮影現場での悲劇:
撮影終了後に起きたロンバードの悲劇的な死は、キャストとクルーに深い悲しみをもたらした。特にルビッチは彼女を非常に高く評価しており、彼女の死後、彼は映画業界での最も困難な経験の一つとしてこれを挙げている。


キャストの即興演技:
一部のシーンでは、俳優たちが即興で会話を追加し、自然なユーモアを引き出すことに成功した。ルビッチはこれを許容し、結果として映画にさらなるリアリズムが加わった。

撮影スケジュールの圧力:
撮影中、アメリカはすでに第二次世界大戦に突入しており、撮影スケジュールに影響を与えた。ロンバードは愛国的な役割を果たすために頻繁にイベントに出席しながらも、映画の撮影に全力を尽くしていた。

セットのデザイン:
映画のセットは、当時のワルシャワを忠実に再現するために細部にまでこだわって作られた。特にナチスのオフィスや劇場のシーンは、視覚的にも非常に印象的だった。

プロモーションの困難:
映画公開時、ロンバードの死がプロモーションに影響を与えた。スタジオは映画の宣伝を行う際に慎重を期し、彼女の死を映画の宣伝材料として扱わないようにした。

後世への影響:
ルビッチのこの映画は、後のブラックコメディや風刺映画に多大な影響を与えた。特にメル・ブルックスなどの監督は、この映画からインスピレーションを得て、自身の作品に反映させている。

メル・ブルックスのリメイク:
1983年にメル・ブルックスとアン・バンクロフト主演でリメイクされた。このリメイクはオリジナルに敬意を払いながらも、1980年代の観客向けにアレンジされた。



『生きるべきか死ぬべきか』は、エルンスト・ルビッチの鋭い風刺と独特のユーモアが融合した作品であり、当時のナチス支配下の恐怖を背景にしながらも、巧妙な演出で観客を魅了する。ジャック・ベニーとキャロル・ロンバードの卓越した演技が、物語に深みと感情を与えている。特にロンバードの最後の作品として、彼女の存在感は映画の中で際立っている。戦時中に公開された映画としては異色の作品だが、その後のブラックコメディや風刺映画に多大な影響を与えた。

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