PR

[監督] D・W・グリフィス D. W. Griffith

監督・製作

D・W・グリフィス
D. W. Griffith

1875年1月22日、アメリカ・ケンタッキー・ラグランジ生まれ。
1948年7月21日、アメリカ・カリフォルニア・ハリウッドで死去(脳内出血)。享年73歳。
本名デヴィッド・ウォーク・グリフィス。
若い頃は劇作家として活動していたが、33歳の時デビューした。
映画創世期の大監督で、“映画の父”と呼ばれる。
550本以上の作品を残した。


D・W・グリフィスは、アメリカの映画監督、脚本家、プロデューサーで、映画史において最も重要な人物の一人だ。彼は映画というメディアを芸術の域に高め、現在の映画製作技法の基盤を築いたパイオニアとして知られる。特に、1915年の映画「國民の創生」(The Birth of a Nation)は、革新的な演出と撮影技術で映画史に革命をもたらしたが、同時にその内容が物議を醸したことでも知られている。

グリフィスはケンタッキー州ラグランジュで生まれ、俳優として舞台活動を行った後、1908年に監督として映画界に足を踏み入れた。当初はエジソン社やバイオグラフ社で短編映画を製作し、サイレント映画の黎明期において多くの短編作品を手掛けた。彼の初期作品は、物語を映像で語る新しい方法を探求し、映画の可能性を広げた。

彼は映画の編集、クロスカッティング(異なるシーンを交互に挿入する手法)、クローズアップ、遠近法を使った撮影など、当時としては画期的な技法を次々と取り入れ、物語の流れや感情を観客に効果的に伝える術を確立した。

1915年、グリフィスは映画「國民の創生」を公開した。この映画は、アメリカ南北戦争とその後の復興期を背景に、南部視点からの歴史を描いた壮大な叙事詩だ。映画の上映時間は3時間を超え、当時としては驚異的な規模だった。

「國民の創生」は、画期的な編集技術、スケールの大きな戦闘シーン、群衆の動きを描く演出など、映画製作における技術的進歩を示すものであり、映画が単なる娯楽以上のものになり得ることを証明した。しかし、映画は白人至上主義的なテーマを含み、黒人差別を肯定する内容が激しい批判を招いた。特に、クー・クラックス・クラン(KKK)を英雄的に描写した点が社会的に大きな論争を巻き起こした。

「國民の創生」への批判を受け、グリフィスは1916年に「イントレランス」(Intolerance)を製作した。この映画は、異なる時代と文化での「不寛容」をテーマに、4つの異なる物語を同時進行で描くという壮大な実験的作品だった。制作費とスケールの大きさは前代未聞であり、映画の語り方における新しい可能性を示した。

しかし、「イントレランス」は商業的には成功せず、莫大な制作費の影響でグリフィスの経済状況は悪化していった。

「イントレランス」の後も、グリフィスは「破壊された花嫁」(Broken Blossoms, 1919年)や「Way Down East」(1920年)などの名作を生み出したが、トーキー映画の登場や映画製作のスタジオ化が進む中で、次第にその存在感を失っていった。彼の作風は徐々に時代遅れと見なされ、1930年代以降はほとんど映画を製作しなくなった。

グリフィスは、映画が芸術であるという信念を持ち、「モーションピクチャーは、未来の世代にとって重要な文化的遺産となる」と主張していた。

彼は「國民の創生」の成功後にハリウッドで豪邸を建設したが、映画が失敗するたびに財政難に陥り、その資産を失うことが多かった。

1936年、グリフィスはアカデミー賞で「映画産業への多大な貢献」に対する特別賞を受賞した。

グリフィスは自身の作品に絶対的な自信を持つ一方で、共演者やスタッフに対して非常に厳しい監督として知られていた。彼は完璧主義者であり、撮影現場での要求は非常に高かった。このため、俳優やスタッフとの間でしばしば緊張が生じたと言われている。

私生活では、複数の女優との関係が噂されたが、彼は晩年まで独身を貫いた。映画製作に情熱を注ぎすぎた結果、私生活が犠牲になったという見方もある。

1948年、グリフィスはカリフォルニア州ハリウッドで心臓発作により死去した。彼の死は、映画界にとって一つの時代の終わりを象徴するものとなった。

D・W・グリフィスは、映画製作技術と物語表現の両面で多大な影響を与えた人物だ。その革新性と影響力は現在の映画製作にも受け継がれている。一方で、「國民の創生」の物議を醸すテーマは、彼の業績を語る上で避けられない要素として残り続けている。グリフィスは、映画というメディアの可能性を広げた功績と、その限界を同時に示した複雑な存在だと言える。




[監督作品]

1908   33歳

ドリーの冒険     The Adventures of Dollie
じゃじゃ馬馴らし     The Taming of the Shrew
質屋の娘の恋     Romance of Jewess


1909   34歳

迷惑帽子     Those Awful Hats
カーテン・ポール     The Curtain Pole
黄金のルイ     The Golden Louis
淋しい別荘     The Lonely Villa
毒蛇の飼育     Nursing a Viper
封印された部屋     The Sarled Room
インディアンの考え     The Red Man’s View
小麦の買い占め     A Corner in Wheat
罠にかかったサンタクロース     A Trap for Santa Claus



1910   35歳

不変の海     The Unchanging Sea
境界州にて     In the Border States
高利貸し     The Usurer
鎧戸の締まった家     The House with Closed Shutters


1911   36歳

老人たちをどうすべきか     What Shall We Do with Our Old?
女の叫び     The Lonedale Operator


1912   37歳

老男優     The Old Actor
見えざる敵     An Unseen Enemy
大虐殺     The Massacre
ピッグ横丁のならず者     The Musketeers of Pig Alley
ニューヨークの帽子     The New York Hat
強盗のジレンマ     The Burglar’s Dilemma


1913   38歳

ベッスリアの女王     Judith of Bethulia


1915   40歳


國民の創生     The Birth of a Nation (監・脚)




1916   41歳


イントレランス     Intolerance (監・脚)



1918   43歳

世界の心     Hearts of the World


1919   44歳

散り行く花     Broken Blossoms (監・脚)
スージーの真心     True Heart Susie
悪魔絶滅の日     Scarlet Days
人類の春     The Greatest Thing in Life


1920   45歳

渇仰の舞姫     The Idol Dancer
愛の花     The Love Flower
東への道     Way Down East


1921年   46歳

嵐の孤児     Orphans Of The Storm (製・脚)
夢の街     Dream Street


1922年   47歳

恐怖の一夜     One Exciting Night (製・脚)


1923年   48歳

ホワイト・ローズ     The White Rose


1924年   49歳

アメリカ     America
素晴らしい哉人生     Isn’t Life Wonderful (監・脚)


1925年   50歳

曲馬団のサリー     Sally of the Sawdust
竜巻     That Royle Girl


1927年   52歳

サタンの嘆き     The Sorrows of Satan


1928年   53歳

愛の太鼓     Drums of Love
男女の戦     The Battle of the Sexes


1929年   54歳

心の歌     Lady of the Pavements


1930年   55歳

世界の英雄     Abraham Lincoln


1931年   56歳

The Struggle


1947年   72歳

Flicker Flasbacks No.1, Series 5



コメント

タイトルとURLをコピーしました