アーサー・ヒラー
Arthur Hiller
1923年11月22日、カナダ・アルバータ・エドモントン生まれ。
2016年8月17日、アメリカ・カリフォルニア・ロサンゼルスで死去(老衰)。享年92歳。
両親はポーランド系ユダヤ人移民で、語学学校と劇場を経営していた。
身長168cm。
はじめはTVシリーズ等を手がけ、35歳の頃映画監督デビュー。
アーサー・ヒラーは、カナダ出身で、アメリカの映画産業において幅広いジャンルで数多くの作品を手掛けた。特に1970年の大ヒット映画「ある愛の詩」が代表作として知られ、この作品は映画史におけるロマンティックドラマの金字塔とされている。
ヒラーの監督スタイルは、ジャンルにこだわらず、コメディ、ドラマ、ロマンス、ミュージカルと多岐にわたる。俳優からの信頼も厚く、温かみのある演出で知られた。
アーサー・ヒラーはカナダのアルバータ州エドモントンで生まれ、若い頃から芸術に興味を持つ。第二次世界大戦中にはカナダ空軍に従軍し、戦後はトロント大学で心理学を学んだ。卒業後、カナダのCBCネットワークに就職しテレビ業界でキャリアをスタートさせ、1950年代にはアメリカのテレビドラマシリーズの監督を務めるようになる。
テレビでの成功によりハリウッドで注目を集め、1960年に映画監督としてのキャリアを開始した。
代表作として、「ある愛の詩」「ラ・マンチャの男」「大陸横断超特急」などがある。
アーサー・ヒラーの作品は、感情的な深みと観客への共感を大切にする演出が特徴的だ。俳優たちの自然な演技を引き出す能力が高く、温かみのあるストーリーテリングで知られる。
特に、ユーモアと人間味を融合させることに長けており、ジャンルに応じた柔軟な演出スタイルを見せる監督だった。
ヒラーは1948年に、学校の同級生だったグウェン・ペピンと結婚し、二人の間には子供がいた。ヒラーは8歳の時彼女にプロポーズしていたという。生涯を共にし、グウェンが亡くなってから2か月後にヒラーも息を引き取った。
温厚で親しみやすい性格で、多くの俳優やスタッフから愛される存在だった。また、社会的な問題にも関心が深く、監督業以外でも積極的に発言していた。
ヒラーは1989年から1993年まで全米監督協会(DGA)の会長を務め、映画業界の発展に貢献した。
晩年は映画制作から距離を置き、慈善活動や業界の支援に注力していた。2016年8月17日、92歳で亡くなった。その死は映画界にとって大きな損失であり、多くの映画人が彼の功績を称えた。
[監督作品]
1963 40歳
第二次世界大戦秘話 白馬奪回作戦 Miracle of the White Stallions
1964 41歳
卑怯者の勲章 The Americanization of Emily
1966 43歳
のぞき Promise Her Anything
美人泥棒 Penelope
1967 44歳
トブルク戦線 Tobruk
1969 46歳
ふたりの天使 Popi
1970 47歳
おかしな夫婦 The Out-of-Towners
ある愛の詩 Love Story
1971 48歳
おかしなホテル Plaza Suite
1972 49歳
1976 53歳
大陸横断超特急 Silver Streak
1979 56歳
あきれたあきれた大作戦 The In-Laws
1982 59歳
メーキング・ラブ Making Love
喝采の陰で Author! Author!
1983 60歳
ロマンチック・コメディ Romantic Comedy
1984 61歳
スティーブ・マーティンのロンリー・ガイ The Lonely Guy
りんご白書 Teachers
1987 64歳
うるさい女たち Outrageous Fortune
1989 66歳
見ざる聞かざる目撃者 See No Evil, Hear No Evil
1990 67歳
ファイロファックス/トラブル手帳で大逆転 Taking Care of Business
1992 69歳
夢を生きた男/ザ・ベーブ The Babe
1993 70歳
マンハッタン・ラブ 女と男のいい関係 Married to It
1994 71歳
ビバリーヒルズ・コップ3 Beverly Hills Cop III
1996 73歳
ドタキャン・パパ Carpool
1997 74歳
アラン・スミシー・フィルム An Alan Smithee Film: Burn Hollywood Burn
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