フレッド・ジンネマン
Fred Zinnemann
1907年4月29日、オーストリア・ウィーン生まれ。
1997年3月14日、イギリス・ロンドンで死去(心臓発作)。享年89歳。
代々医師の家系。ユダヤ系ドイツ人。
ウィーン大学を卒業後、パリとベルリンで撮影助手を務め、22歳の時渡米。
エキストラ、助監督を経て、30歳の時長編映画の監督デビュー。
何者にも負けずに行動を貫く人物をリアリズムで描写するのを得意とし、また、ハリウッド史の荒波の中で信念を押し通した稀な人物。
作品を選び抜くことでも有名だった。
フレッド・ジンネマンは、オーストリア出身の映画監督で、アメリカ映画界で多くの名作を手掛けた巨匠。リアリズムと人間ドラマの描写に長けており、特に「真昼の決闘」や「地上より永遠に」といった作品で知られている。
ジンネマンは、社会的テーマを取り扱った作品や個人の内面的葛藤を描いた映画を得意とし、その多くが映画史において高い評価を受けている。アカデミー賞を4度受賞(監督賞2回、作品賞を含む)し、9回のノミネートを受けた。そのキャリアは50年以上にわたる。
フレッド・ジンネマンはオーストリアのウィーンで生まれ、若い頃から映画に興味を持つ。ウィーン大学で法学を学ぶが、映画制作の道を追求するためパリに移り、フランスの映画学校に通った。その後、ベルリンで撮影技師として経験を積み、ナチスの台頭を受けて1930年代にアメリカへ移住。
アメリカでは短編映画の監督としてキャリアを開始し、1940年の短編映画「That Mothers Might Live」でアカデミー短編賞を受賞。これが彼のキャリアの礎となった。
1940年代以降、ジンネマンは次々と名作を生み出し、ハリウッドのトップ監督の一人となった。
ジンネマンはリアリズムを追求し、キャラクターの内面を掘り下げることに長けていた。また、現実の社会問題を反映したテーマを扱うことが多かった。
現実感を強調するため、現地ロケーションやリアルなセットを使用するドキュメンタリー的手法を取った。また、個人の選択や葛藤に焦点を当てた物語が多く、観客をキャラクターの内面に引き込んだ。
ジンネマンは1936年に結婚し、妻リタとの関係は彼の人生の重要な支えだった。映画制作への情熱は強く、完成度を追求する職人気質で知られていた。
また、ナチス政権下での経験から、独裁政治や不正義に対する強い反発心を持っており、それが彼の作品テーマに反映されている。
「真昼の決闘」では実時間で物語が進行する革新的な手法を取り入れ、リアリズムへのこだわりを見せた。
1997年3月14日、ジンネマンはイギリス・ロンドンで死去。享年89歳だった。その死は映画界にとって大きな損失とされ、多くの監督や俳優が彼の功績を称えた。
フレッド・ジンネマンは、映画史におけるリアリズムと社会的テーマの探求者として評価されている。彼の作品は、エンターテインメント性とメッセージ性を見事に融合させており、今なお多くの映画製作者や観客に影響を与え続けている。
[監督作品]
1930 23歳
Menschen am Sonntag
1936 29歳
Redes
1942 35歳
Kid Glove Killer
Eyes in the Night
1944 37歳
第七の十字架 The Seventh Cross
1947 40歳
不思議な少年 My Brother Talks to Horses
Little Mister Jim
1948 41歳
山河遥かなり The Search
暴力行為 Act of Violence
1950 43歳
男たち The Men
1951 44歳
Teresa
1952 45歳
The Member of the Wedding
1953 46歳
アカデミー賞監督賞
カンヌ映画祭特別賞
1955 48歳
アカデミー賞ミュージカル映画賞
1957 50歳
夜を逃れて A Hatful of Rain
1958 51歳
老人と海 The Old Mand and the Sea (ノークレジット)
1959 52歳
尼僧物語 The Nun’s Story
1960 53歳
サンダウナーズ The Sundowners
1964 57歳
日曜日には鼠を殺せ Behold a Pale Horse
1966 59歳
わが命つきるとも A Man for All Seasons
アカデミー賞作品賞/監督賞
1973 66歳
1977 70歳
1982 75歳
氷壁の女 Five Days One Summer
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