いたずらな夏、眩しすぎるミューズ。ヌーヴェルヴァーグの旗手トリュフォーが刻んだ、残酷で美しい初恋の記憶。

南仏の眩い太陽の下、美しい女性ベルナデットに恋をした5人の少年たち。その『あこがれ』は、やがて彼女の恋人への執拗な嫉妬といたずらに変わっていく。
フランソワ・トリュフォーが長編デビュー前に監督した、短編映画の傑作。自転車で風を切るヒロインの瑞々しい美しさと、子供時代の無垢さと残酷さが交錯する、映画史に輝く不朽の青春譜。
あこがれ
Les Mistons
(フランス 1957)
[製作] ロベール・ラシュネー
[監督] フランソワ・トリュフォー
[原作] モーリス・ポンス
[脚本] フランソワ・トリュフォー
[撮影] ジャン・マリージュ
[音楽] モーリス・ル・ルー
[ジャンル] ドラマ/青春
キャスト
ベルナデット・ラフォン (ベルナデット)
ジェラール・ブラン (ジェラール)
ミシェル・フランソワ (男)
評価
フランス映画に革命を起こした「ヌーヴェルヴァーグ」の記念碑的な短編作品です。トリュフォーは本作で、スタジオ撮影という既存のルールを捨て、自然光の下でのロケーション撮影、即興的な演出、そして軽快な編集を実践しました。
ヒロインを演じたベルナデット・ラフォンの野性味あふれる魅力は、それまでのフランス映画の「お淑やかな女性像」を塗り替え、新しい時代のヒロイン誕生を予感させました。少年時代の終わりの切なさを描いた本作は、今日でもトリュフォーの原点として高く評価されています。
あらすじ:美しきベルナデットへの嫉妬
南仏ニーム。夏休みを謳歌する5人の少年たちは、街一番の美女ベルナデット(ベルナデット・ラフォン)に夢中だった。しかし、彼女にはスポーツマンの恋人ジェラール(ジェラール・ブラン)がおり、二人はいつも仲睦まじく過ごしている。
自分たちの手に届かないベルナデットへの思慕は、やがてジェラールへの激しい嫉妬へと形を変える。少年たちは二人のデートを尾行し、愛の語らいを邪魔し、下品な言葉を浴びせるなど、執拗な悪戯(ミストン)を繰り返す。それは、大人の世界への憧れと、そこから排除されていることへの苛立ちが入り混じった、少年期特有の残酷な反抗だった。
夏が終わりに近づく頃、ジェラールは登山中に滑落事故で帰らぬ人となる。彼をあんなに憎んでいたはずの少年たちだったが、突然訪れた死という現実に、深い喪失感を味わうことになる。
一人残されたベルナデットは、喪服に身を包み、街を去っていく。少年たちは彼女の姿を見送るが、そこには以前のような悪戯心は微塵もなかった。ベルナデットという「初恋」の象徴が消え、彼女の香りがした夏の風が止んだ時、少年たちの子供時代もまた静かに終わりを告げたのだ。
エピソード・背景
- トリュフォーの「処女作」へのこだわり
映画批評家として既存の映画を辛辣に批判していたトリュフォーが、「自分で撮ってみせる」と決意して挑んだ実質的なデビュー作です(厳密には2作目ですが、彼自身は本作を真の出発点と考えていました)。 - ベルナデット・ラフォンの発見
当時、ジェラール・ブランの実際の妻だったベルナデットを起用。彼女の自転車を漕ぐ姿や、スカートをなびかせる仕草を、トリュフォーは恋に落ちた少年のような視線で魅力的に映し出しました。 - 低予算でのゲリラ撮影
撮影許可を取らずに街中でカメラを回すなど、後のヌーヴェルヴァーグの特徴となる手法が随所に見られます。機材の制約を逆手に取った自由なカメラワークが、作品に瑞々しいリズムを与えました。 - ジャン・コクトーへのオマージュ
劇中、少年たちが映画館のポスターを破るシーンがありますが、そこにはトリュフォーが敬愛する監督たちの名前が隠されており、彼自身の映画愛が散りばめられています。 - 「ミストン」という言葉
タイトルの「Les Mistons」は、南仏の方言で「悪ガキたち」という意味。自身の孤独な少年時代を映画に投影してきたトリュフォーにとって、彼らは自分自身の分身でもありました。 - モーリス・ポンスの短編小説
原作の持つ詩的な情緒を、トリュフォーはナレーションを効果的に使うことで再現しました。言葉と映像が溶け合うような叙情的な構成は、彼の後の作品にも受け継がれていくスタイルです。
まとめ:作品が描いたもの
本作は、誰もが通り過ぎる「少年期の終わり」という一瞬を、南仏の強い陽光の中に閉じ込めた作品です。ベルナデットへの憧れは、そのまま未知なる世界への好奇心であり、彼女を傷つける行為は、自我の芽生えに伴う痛みでもありました。
トリュフォーは、少年たちが経験した初めての愛と死を通じて、人はこうして何かを失いながら大人になっていくのだという普遍的な真実を描きました。
〔シネマ・エッセイ〕
自転車で疾走するベルナデット。その背中を追いかける少年たちの必死な眼差し。スクリーンの隅々にまで、若きトリュフォーの「映画を撮ることへの喜び」が溢れ出しています。白黒の映像でありながら、私たちはそこに南仏の草の匂いや、肌を刺すような夏の熱気を感じずにはいられません。
少年たちの悪戯は確かに残酷だけれど、それは愛し方がわからないがゆえの、不器用な情熱の裏返し。彼女が腰を下ろしたベンチの温もりを奪い合う姿に、誰もが心の中に隠し持っている、青くて痛い記憶を呼び覚まされます。
愛する人を失い、静かに街を去る彼女の後ろ姿を見送る時、画面を満たしていた眩い光は、どこか寂しげな秋の気配へと移り変わります。少年たちが手に入れたのは、勝利ではなく、愛の尊さと喪失の重み。短い上映時間の中に、一生忘れられない夏が凝縮されている。トリュフォーが遺したこの瑞々しい序曲は、今も私たちの心の中で、止まることのない自転車のように走り続けているのです。

