鳴り響く殺意、狂った計画。ロンドンのアパートメントに潜む、完全犯罪の罠と鍵の行方。

資産家の妻マーゴの不倫を知った元テニス選手のトニーは、妻を殺害して遺産を手に入れるための完璧な計画を練り上げる。かつての知人を脅迫して実行犯に仕立て上げ、完璧なアリバイを用意したはずだったが、運命の電話が鳴った瞬間、計画は予想外の方向へと狂い始める。
一着のコート、一本の鍵、そして一度のダイヤル。ヒッチコックが仕掛ける、手に汗握る心理戦の最高峰。
ダイヤルMを廻せ!
Dial M for Murder
(アメリカ 1954)
[製作] アルフレッド・ヒッチコック
[監督] アルフレッド・ヒッチコック
[原作] フレデリック・ノット
[脚本] フレデリック・ノット
[撮影] ロバート・バークス
[音楽] ディミトリー・ティオムキン
[ジャンル] スリラー
[受賞]
ナショナル・ボード・オブ・レビュー 主演女優賞(グレース・ケリー)/助演男優賞(ジョン・ウィリアムズ)
NY批評家協会賞 主演女優賞(グレース・ケリー)
キャスト

レイ・ミランド
(トニー・ウェンディス)

グレース・ケリー
(マーゴット・メアリー・ウェンディス)
ロバート・カミングス (マーク・ホリデイ)
ジョン・ウィリアムズ (ハバード警部)
アンソニー・ドーソン (チャールズ・スワン)
レオ・ブリット (語り)
パトリック・アレン (ピアソン)
ジョージ・リー (ウィリアムズ)
ジョージ・アルダーソン (刑事)
ロビン・ヒューズ (巡査長)
受賞・ノミネートデータ
| 受賞年 | 賞 | 部門 | 結果 |
| 1955 | 第8回英国アカデミー賞 | 外国人女優賞(グレース・ケリー) | ノミネート |
| 1954 | ナショナル・ボード・オブ・レビュー | 女優賞(グレース・ケリー)/助演男優賞(ジョン・ウィリアムズ) | 受賞 |
| 1954 | ニューヨーク映画批評家協会賞 | 女優賞(グレース・ケリー) | 受賞 |
評価
舞台劇として成功を収めていたフレデリック・ノットの戯曲を、ヒッチコック監督がその魅力を損なうことなく映画化した室内サスペンスの白眉です。限定された空間でありながら、緻密なカメラワークと小道具の使い道によって、観客を飽きさせることなく緊張感の極致へと誘います。
当時最新だった3D映画として製作されたため、奥行きを意識した構図が随所に見られ、平面的な映像であってもその立体的な演出効果が物語の臨場感を高めていると高く評価されています。
あらすじ:完璧なシナリオ、予期せぬ反撃
元テニス・プレイヤーのトニー(レイ・ミランド)は、妻マーゴ(グレース・ケリー)が推理作家のマーク(ロバート・カミングス)と不倫していることを知り、彼女の殺害を計画する。トニーは大学時代の知人スワン(アンソニー・ドーソン)を脅し、自分がアリバイを作っている間に自宅で彼女を絞殺するよう命じた。
決行の夜、トニーからの電話を合図にスワンがマーゴを襲うが、激しい抵抗に遭い、逆にマーゴが鋏でスワンを刺し殺してしまう。トニーはこの不測の事態を逆手に取り、証拠を捏造してマーゴが計画的にスワンを殺害したように見せかけ、彼女を死刑判決へと追い込んでいく。
マーゴの処刑が迫る中、不審を抱いたマークとハバード警部(ジョン・ウィリアムズ)は、事件の鍵が「玄関の鍵」にあることに気づく。トニーが隠したはずの鍵が、実は別の場所に存在することを突き止めた警部は、罠を仕掛けてトニーを自宅へ呼び戻す。
自分のポケットに鍵がないことに焦り、かつて隠した場所から鍵を取り出してドアを開けた瞬間、トニーは自らの犯行を証明することになった。逃れられない証拠を突きつけられたトニーは、観念したように酒を注ぎ、静かにハバード警部たちの前に膝を屈する。マーゴの無実が証明され、完全犯罪は一本の鍵によって崩れ去った。
エピソード・背景
- グレース・ケリーの衣装による演出
ヒッチコックはマーゴの心理状態を衣装の色で表現しました。物語の冒頭、幸福な場面では鮮やかな赤色を、事件に巻き込まれ追い詰められていくにつれて、衣装の色は次第に濁り、灰褐色へと変化していきます。この色彩の変化が、言葉以上に彼女の絶望感を観客に伝えています。 - 3D映画としての構図
本作は当時流行していた3D方式で撮影されました。ヒッチコックはカメラを床の低い位置に設置し、手前にランプや灰皿などの小道具を配置することで、奥行きのある映像を作り出しました。特に、襲撃されたマーゴがカメラに向かって手を伸ばすシーンは、3D効果を最大限に活かした映画史に残る緊迫の瞬間です。 - レイ・ミランドの冷徹な知性
犯人役のミランドは、追い詰められても顔色一つ変えず、次々と嘘を重ねる知能犯を演じ切りました。彼の持つ紳士的な佇まいが、かえって内に秘めた残忍さを際立たせ、観客に「犯人が逃げ切れるのではないか」と思わせるサスペンスの妙味を生み出しています。 - ジョン・ウィリアムズの名演
舞台版でも同じ警部役を演じたウィリアムズは、独特のユーモアと鋭い洞察力を併せ持つハバード警部を好演しました。彼がトニーの矛盾をじわじわと突き崩していく後半の展開は、ミステリー映画における謎解きの醍醐味を凝縮したような面白さがあります。 - ヒッチコックのカメオ出演
本作でも監督は意外な場所に登場します。トニーが大学時代の同窓会の写真を見せるシーン。その集合写真の中に、学生たちに混じってテーブルを囲むヒッチコックの姿を確認することができます。 - 限定された舞台設定の勝利
映画のほとんどがロンドンのアパートの一室で展開されます。ヒッチコックは「映画的な広がり」を求めるのではなく、あえて空間を限定することで、観客を密室の共犯者、あるいは目撃者にするという心理的効果を狙いました。この閉塞感が、物語の緊張感を最後まで持続させる大きな要因となっています。
まとめ:作品が描いたもの
本作は、人間の知性と欲望が交錯する完全犯罪の行方を、極限まで削ぎ落とされた空間の中で力強く総括した心理サスペンスの傑作です。アルフレッド・ヒッチコック監督は、一本の電話や鍵といった日常的な小道具に致命的な役割を与えることで、平凡な日常のすぐ裏側に潜む恐怖を鮮やかに描き出しました。
論理的なプロットと、グレース・ケリーが見せる繊細な感情の揺れが融合した本作は、ハリウッド黄金時代におけるミステリー演出の完成形を記録しています。
〔シネマ・エッセイ〕
真夜中の静寂を切り裂く、電話のベル。あの音を聞くたびに、わかっていながらも心拍数が上がるような緊張感に包まれます。グレース・ケリーの透明感あふれる美しさが、事件の闇に飲み込まれていくにつれて影を帯びていく様子は、まるで一輪の花が嵐の中で耐え忍ぶような痛々しさがあります。
レイ・ミランド演じるトニーが、計画が狂うたびに一瞬だけ見せる「計算し直す目」。その冷徹なまでの知性が、物語に得も言われぬ不気味さを与えています。対するハバード警部の、一見のんびりしていながらも決して獲物を逃さない鷹のような鋭さ。二人の知恵比べが、一室という狭いステージ上で火花を散らす様子は、舞台劇の良さと映画の躍動感が見事に溶け合った結果と言えるでしょう。
最後、すべての嘘が暴かれた部屋で、独り酒を飲むトニーの姿。そこにあるのは、完璧を求めた男の虚しさです。私たちは、一本の鍵がカチリと回る音の中に、人間の傲慢さが崩れ落ちる瞬間を聴くことになります。洗練された会話と緻密な演出が織りなす、これほどまでに贅沢でスリリングな時間の旅を、何度でも味わいたくなります。

