黄金の秋、森に横たわる招かれざる客。死体を巡る、おかしな隣人たちの不謹慎なピクニック。

美しい紅葉に彩られたバーモント州の田舎町。森の中で見つかった男ハリーの死体を巡り、自分に非があると思い込んだ住民たちが、遺体を隠しては掘り起こす奇妙な迷走劇を繰り広げる。
ヒッチコック監督が贈る、死さえもユーモアに変えてしまうブラック・コメディの隠れた名作。シャーリー・マクレーンの鮮烈なデビューと共に、穏やかな日常に潜む『おかしな事態』を軽妙に描き出す。
ハリーの災難
The Trouble with Harry
(アメリカ 1955)
[製作] アルフレッド・ヒッチコック/ハーバート・コールマン
[監督] アルフレッド・ヒッチコック
[原作] ジャック・トレヴァー・ストーリー
[脚本] ジョン・マイケル・ヘイズ
[撮影] ロバート・バークス
[音楽] バーナード・ハーマン/レイモンド・スコット
[ジャンル] ミステリー/コメディ
キャスト

ジョン・フォーサイス
(サム・マーロウ)

シャーリー・マクレーン
(ジェニファー・ロジャース)
エドモンド・グウェン (アルバート・ワイルズ)
ミルドレッド・ナットウィック (アイヴィー・グレイヴリー)
ミルドレッド・ダノック (ウィッグス夫人)
ジェリー・マサーズ (アーニー・ロジャース)
ロイヤル・デイノ (カルヴィン・ウィッグス保安官)
パーカー・フェネリー (百万長者)
バリー・マコラム (浮浪者)
ドワイト・マーフィールド (Dr.グリーンボウ)
フィリップ・トルークス (ハリー・ワープ)

アルフレッド・ヒッチコック
(通行人)
受賞・ノミネートデータ
| 受賞年 | 賞 | 部門 | 結果 |
| 1956 | 第9回英国アカデミー賞 | 作品賞(総合) | ノミネート |
| 1956 | 第9回英国アカデミー賞 | 外国人女優賞(シャーリー・マクレーン) | ノミネート |
評価
サスペンスの巨匠ヒッチコックが、恐怖を一切排除し、「死体の処理に困る人々」というシチュエーションをユーモラスに描いた異色作です。全編を彩るバーモント州の美しい紅葉の色彩と、バーナード・ハーマンによる軽快な音楽が、不謹慎な物語に不思議な上品さと心地よさを与えています。
公開当時はその独特なユーモアが理解されにくい面もありましたが、現在ではヒッチコックの卓越した演出センスが光る、最も洗練されたコメディの一つとして再評価されています。
あらすじ:掘っては埋める、秋の日の迷走
バーモント州ののどかな森。引退した船長のワイルズ(エドマンド・グウェン)は、ウサギ狩りの最中に男の死体を発見する。自分が誤射したと思い込んだ船長は、死体を隠そうとするが、そこへ次々と近隣の住民が現れる。
男の名はハリー(フィリップ・トルークス)。しかし、ハリーの元妻であるジェニファー(シャーリー・マクレーン)や、独身のウィッグス(ミルドレッド・ナトウィック)ら住民たちは、死体を見ても悲しむどころか、それぞれが「自分が死なせたのではないか」と勘違いし、己の平穏を守るために協力して死体を埋めたり掘り起こしたりを繰り返す。画家のサム(ジョン・フォーサイス)も巻き込み、事態は誰も予想しなかった「ハリーの災難」へと発展していく。
結局、ハリーの死因は事件でも何でもなく、単なる心臓麻痺であったことが判明する。住民たちの心配はすべて取り越し苦労であり、彼らが右往左往していた間に、死体は何度も土の中から出たり入ったりを繰り返したことになる。
最後、ようやく法に触れない形で事態を収拾できると確信した一行は、死体をきれいに洗い、身なりを整えてから、最初に見つかった場所にそっと戻しておく。翌朝、再び死体が「発見」されるのを待ちながら、住民たちは何事もなかったかのように、深まった秋の穏やかな日常へと戻っていく。
エピソード・背景
- シャーリー・マクレーンの鮮烈なデビュー
当時、ブロードウェイの代役として注目されていた彼女を、ヒッチコックが抜擢しました。死体となった元夫を「厄介払いできて良かった」と平然と言ってのける風変わりなヒロインを、彼女は持ち前の明るさと天性の演技力で魅力的に演じ、一躍スターの座を掴みました。 - バーナード・ハーマンとの初タッグ
ヒッチコック作品には欠かせない作曲家バーナード・ハーマンと初めて組んだ作品です。これまでの重厚な作風とは異なり、本作では物語の滑稽さを引き立てる、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような軽やかなスコアを提供し、監督との相性の良さを証明しました。 - 徹底した色彩へのこだわり
ヒッチコックはバーモント州の「世界で最も美しい紅葉」をスクリーンに収めるため、ロケハンに多大な時間を費やしました。しかし、撮影中に天候が崩れ、落葉してしまったため、スタッフが本物の葉を一枚一枚、木に接着して撮影を続行したという、驚くべき執念のエピソードが残っています。 - 死体を「物」として扱うユーモア
通常、殺人事件の映画では死体は恐怖の象徴ですが、本作では「重たくて動かしにくい邪魔な荷物」のように扱われます。このシュールな感覚は、監督がイギリス人特有のブラック・ユーモアを、アメリカの乾いた風景の中で表現しようとした試みでもありました。 - ヒッチコックのカメオ出演
物語の序盤、森のそばの道を歩いている監督の姿を確認できます。リラックスした雰囲気の本作にふさわしく、日常の風景に溶け込むような登場の仕方をしています。 - 低予算と自由な演出
大物スターを起用せず、監督のお気に入りの俳優たちと小規模なクルーで製作されました。そのため、大作映画のようなプレッシャーから解放されたヒッチコックの、自由で遊び心に満ちた演出が細部にまで行き渡っています。
まとめ:作品が描いたもの
本作は、死という重々しいテーマを、のどかな田舎町の日常の中に軽やかに総括したブラック・コメディの傑作です。アルフレッド・ヒッチコック監督は、人間の善意や勘違いが引き起こす滑稽な騒動を、美しい色彩と緻密なプロットで描き出しました。
恐怖ではなく「微笑ましさ」で観客を裏切るという、巨匠の懐の深さと遊び心が詰まった本作は、ハリウッド黄金時代における知的なエンターテインメントの形を記録しています。
〔シネマ・エッセイ〕
燃えるような紅葉が広がる森の中に、ただ一人横たわる「災難な」ハリー。その不気味なはずの光景が、エドマンド・グウェン演じる船長の慌てぶりや、シャーリー・マクレーンのケロリとした表情によって、まるで童話の一場面のように見えてくるから不思議です。
「死んだ人をどうするか」という大問題に直面しながらも、住民たちの会話はどこまでも噛み合わず、お互いのプライバシーや小さな恋心に脱線していく。そのズレたリズムが、言いようのない心地よさを生んでいます。ヒッチコックが仕掛けたこの静かな悪戯は、私たちに「物事は捉え方次第で、こんなにも滑稽になるのだ」と教えてくれているようです。
最後、森に静寂が戻る時、私たちは一つの奇妙なピクニックを終えたような、爽やかな気分に包まれます。残酷なはずなのに温かく、ミステリアスなのに軽やか。秋の深まりと共に、何度でもその独特な味わいを確認したくなるような、とびきりチャーミングな一作です。

