善意で殺す、可愛すぎる老姉妹。狂気と爆笑が交錯する、ブラックコメディの最高峰。

ブルックリンの邸宅に住む、優しく慈悲深い二人の老姉妹。だが彼女たちには、身寄りのない老人を毒入り葡萄酒で『安楽死』させるというとんでもない習慣があった。結婚したばかりの甥モーティマーがその秘密を知ってしまったことから始まる、一晩の狂乱を描いたドタバタ喜劇。
毒薬と老嬢
Arsenic and the Old Lace
(アメリカ 1944)
[製作] ジャック・L・ワーナー/フランク・キャプラ
[監督] フランク・キャプラ
[原作] ジョゼフ・ケッセルリング
[脚本] ジュリアス・J・エプスタイン/フィリップ・G・エプスタイン
[撮影] ソル・ポリト
[音楽] マックス・スタイナー
[ジャンル] コメディ/クライム
キャスト

ケーリー・グラント
(モーティマー・ブルースター)
プリシラ・レイン (エレイン・ハーバー・ブルースター)
レイモンド・マッセイ (ジョナサン・ブルースター)
ジャック・カーソン (パトリック・‘パット’・オハラ)

エドワード・エヴェレット・ホートン
(ウィザースプーン)
ピーター・ローレ (アインシュタイン博士)
ジェームズ・グリーソン (ルーニー警部補)
ジョセフィン・フル (アビー・ブルースター伯母)
ジーン・アデア (マーサ・ブルースター伯母)
ジョン・アレクサンダー (テオドア・‘テディ・ルーズヴェルト’・ブルースター)
グラント・ミッチェル (ハーパー牧師)
エドワード・マクナマラ (ブロフィー巡査部長)
ギャリー・オーウェン (タクシー運転手)
ジョン・リッジリー (サンダース巡査)
評価
百戦錬磨のフランク・キャプラ監督が、ブロードウェイの大ヒット舞台を映画化した作品です。戦時下の重苦しい空気を吹き飛ばすような、徹底したナンセンスとブラックユーモアが満載。
ケーリー・グラントによる、これまでの二枚目イメージを覆すようなオーバーアクションと顔芸は、コメディ俳優としての新境地と絶賛されました。異常な状況を「善意」で押し通す老姉妹のキャラクターは、映画史上最も愛される狂気の一人として語り継がれています。
あらすじ:窓際のベンチに隠された秘密
高名な演劇批評家で、結婚反対論者だったモーティマー(ケーリー・グラント)が、ついに愛するエレーン(プリシラ・レイン)と結婚した。報告のためにブルックリンにある伯母たちの屋敷を訪れた彼は、窓際のベンチの中に老人の死体が隠されているのを発見する。
パニックになるモーティマーに対し、伯母のアビー(ジョセフィン・フル)とマーサ(ジーン・アデア)は「寂しい老人を天国へ送ってあげただけ」と誇らしげに語る。さらに、自分をテディ・ルーズベルト大統領だと思い込んでいる風変わりな弟(ジョン・アレクサンダー)や、整形手術でフランケンシュタインのような顔になった殺人鬼の兄ジョナサン(レイモンド・マッセイ)まで帰宅し、屋敷は死体と狂人が入り乱れる大混乱に陥っていく。
次々と増えていく死体と、自分も家系の狂気に染まっているのではないかという恐怖に追い詰められたモーティマーだったが、最後に伯母たちから驚愕の事実を告げられる。実は彼はヒルトン家の血を引いておらず、料理人の私生児として引き取られた子だったのだ。
自分に狂った血が流れていないことを知って狂喜乱舞するモーティマー。彼は伯母たちを、自分を大統領と信じる弟と共に静かな療養所へ送り出すことに成功する。タクシーに乗り込み、新妻エレーンに向かって「僕はヒルトンじゃない!僕は料理人の息子だ!」と叫びながら、彼は悪夢のような屋敷を後にするのだった。
エピソード・背景
- 撮影と公開のズレ
1941年に撮影を終えていましたが、原作の舞台がブロードウェイでロングランヒットを続けていたため、舞台の興行を邪魔しないよう3年以上も公開が差し止められていました。 - ケーリー・グラントの自己評価
グラント自身は、自分の演技があまりに大げさすぎると感じており、後に「自分の出演作の中で最も気に入らないものの一つ」と語っていますが、観客や批評家からはそのコメディ・センスを絶賛されました。 - ジョナサンの顔の秘密
劇中で「ボリス・カーロフ(怪奇スター)に似ている」と揶揄されるジョナサン。舞台版では実際にカーロフ本人が演じていましたが、映画版では契約の都合でレイモンド・マッセイが起用され、特殊メイクでカーロフに似せています。 - エプスタイン兄弟の脚本
『カサブランカ』を手がけた名脚本家コンビが、舞台のテンポを崩さず、より映画的な疾走感のあるセリフ回しへと磨き上げました。 - ソル・ポリートの撮影術
嵐の夜の屋敷という設定を、ソル・ポリートは巧みなライティングで「不気味だがどこか可愛らしい」独特の雰囲気に仕上げています。 - キャプラの息抜き
『スミス都へ行く』などの社会派ドラマで知られるキャプラが、軍隊に入る直前に「ただ純粋に楽しんでもらうため」に撮り上げた、彼のキャリアの中でも珍しい純然たるコメディです。 - マックス・スタイナーの遊び心
音楽を担当したスタイナーは、テディが登場するシーンで軍隊ラッパの旋律を混ぜるなど、劇中のドタバタに合わせたコミカルなスコアを書き下ろしました。
まとめ:作品が描いたもの
『毒薬と老嬢』は、死や殺人という重いテーマを、徹底的に「おかしなこと」として描き出すことで、笑いの持つ浄化作用を証明した作品です。アビーとマーサという二人の老嬢が持つ「悪意のまったくない狂気」は、私たちが信じている道徳や常識がいかに脆いものであるかを皮肉たっぷりに突きつけます。
密室劇という制約を逆手に取ったスピーディーな展開と、個性豊かなキャラクターたちの衝突。本人の映画人生は、こうした毒のある笑いを通じて、人間の滑稽さと愛おしさを銀幕に描き出し、観る者を日常の悩みから解放する至福の娯楽を提供したものと言えるでしょう。
〔シネマ・エッセイ〕
ブルックリンの古い屋敷。ソル・ポリートが映し出す暖かなランプの光の中で、優しそうな伯母さまたちが差し出す一杯の葡萄酒。その中に「毒」が入っていると知ったときのモーティマーの仰天ぶりは、何度観ても笑いを誘います。ケーリー・グラントが見せる、顔中の筋肉を駆使した混乱の演技は、まさにサイレント映画の喜劇王たちへのオマージュのようです。
マックス・スタイナーの軽快な音楽に乗せて、死体が増え、殺人鬼が忍び寄り、自分を大統領だと思い込む男がラッパを鳴らす。このカオスを「日常」として受け入れている老姉妹の無垢な微笑みこそ、本作最大のスパイスです。
「悪いこと」をしている自覚がまったくない彼女たちの姿は、究極の癒やしであり、同時に背筋が凍るようなブラックな魅力に満ちています。映画が終わった後、私たちは窓際のベンチを見るたびに、そこに誰かが眠っているのではないかという想像と、彼女たちのチャーミングな狂気を思い出して、少しだけニヤリとしてしまうのです。

