スーザン・ヘイワード
Susan Hayward

1918年6月30日、アメリカ・ニューヨーク・ブルックリン生まれ。
1975年3月14日、アメリカ・ハリウッドで死去(脳腫瘍)。享年57歳。
本名エディス・マリナー。
身長161cm。
スウェーデン系。
デザインと速記を習いながらモデルをしているところを大プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックに見出され、「風と共に去りぬ」のヒロイン役候補に推されたが、最後の段階でヴィヴィアン・リーに奪われた。
19歳の時端役で映画デビュー。
「愛欲の十字架」でトップ女優の座に。
今回ご紹介するのは、燃えるような赤毛と、何ものにも屈しない強靭な意志を瞳に宿した「不屈の女優」、スーザン・ヘイワードです。
彼女は、ハリウッド黄金期において、どん底から這い上がる女性や、過酷な運命に立ち向かう役を演じさせれば右に出る者はいないと言われました。美しさだけでなく、喉を掻き切るような激しい感情の吐露や、剥き出しの生命力をスクリーンに叩きつける彼女の演技は、観客の魂を激しく揺さぶりました。5度のアカデミー賞ノミネートという記録が示す通り、彼女は名実ともに、銀幕における「闘う女性」の象徴でした。
炎の意志と、魂の叫び。スーザン・ヘイワード、不屈の軌跡
スーザン・ヘイワードの魅力は、その華やかな容姿の裏に潜む、岩をも通すような強い精神力にあります。
ニューヨークの貧しい家庭に生まれ、自らの力だけでスターの座を勝ち取った彼女の人生は、まさに彼女が演じたヒロインたちの生き様そのものでした。アルコール依存症、差別、死刑宣告――彼女が演じる役柄が直面する困難はどれも過酷でしたが、スーザンは常に、絶望の淵から前を見据える力強い眼差しを失いませんでした。彼女の放つエネルギーは、スクリーンという枠を超えて、困難な時代を生きる人々に勇気を与え続けました。
✦ PROFILE & BACKGROUND
- 本名:エディス・マリナー
- 生涯:1917年6月30日 ~ 1975年3月14日(享年57歳)
- 出身:アメリカ・ニューヨーク州ブルックリン
- 背景:貧困の中で育ち、モデルを経てハリウッドへ。『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役の最終候補に残るも落選。しかし、その悔しさをバネに脇役から実力を磨き、1940年代後半にトップスターへと登り詰めました。
- 功績:1958年『私は死にたくない』でアカデミー主演男優賞を受賞。カンヌ国際映画祭でも女優賞を受賞するなど、国際的にも高い評価を受けました。
🏆 主な功績・活動
| 年 | 出来事 | 備考 |
| 1947 | 『スマッシュ・アップ』 | 初のアカデミー主演女優賞ノミネート |
| 1952 | 『わが心の歌』 | 実在の歌手ジェーン・フロマンを熱演 |
| 1955 | 『明日泣く』 | カンヌ国際映画祭 女優賞受賞 |
| 1958 | 『私は死にたくない』 | アカデミー主演女優賞受賞 |
1. 魂の慟哭:私は死にたくない
スーザン・ヘイワードのキャリア最高傑作であり、彼女に悲願のオスカーをもたらした衝撃作です。
冤罪を訴えながらもガス室での死刑を宣告された実在の女性、バーバラ・グレアムを演じました。執行が近づくにつれて高まる恐怖、怒り、そして尊厳を保とうとする凄まじい演技は、観客を圧倒しました。ラストシーンでの彼女の表情は、映画史に残る最も痛烈な叫びとして刻まれています。
2. 栄光と転落の果て:明日泣く
アルコール依存症に苦しむ実在の歌手リリアン・ロスの半生を描いた作品です。
華やかなスターが酒に溺れ、自分を見失っていく姿を、スーザンは一切の虚飾を排して生々しく演じ切りました。劇中での歌声も彼女自身によるもので、そのエモーショナルなパフォーマンスは、カンヌ国際映画祭での女優賞受賞へと繋がりました。
3. 辺境に咲く情熱:キリマンジャロの雪
ヘミングウェイの短編を映画化した大作です。グレゴリー・ペックの相手役として、アフリカの大地で愛に生きる女性を演じました。
大自然の過酷な環境に負けない彼女の鮮やかな存在感は、カラー映像の中でいっそう輝きを増しました。彼女の持つ「高潔な強さ」が、内省的な物語に力強いダイナミズムを与えた一作です。
4. 逆境からの復活:わが心の歌
飛行機事故で重傷を負いながらも、不屈の闘志で再起した歌手ジェーン・フロマンの物語です。
スーザンは、自らの人生哲学とも重なる「決して諦めない心」を全身で表現しました。彼女の力強い演技は、観る者すべてに「何度でも立ち上がれる」という希望を抱かせ、3度目のアカデミー賞ノミネートを果たしました。
5. 欲望と愛の葛藤:悪魔の庭
ゲイリー・クーパーと共演した西部劇サスペンス。
金鉱を目指す男たちを雇い、危険なインディアンの領土へ乗り込む強い女性を演じました。男たちと互角に渡り合い、危機的状況でも冷静さを失わない彼女のキャラクターは、当時の西部劇における女性像としては極めて現代的で、自立した魅力に満ちていました。
📜 スーザン・ヘイワードを巡る知られざるエピソード集
1. スカーレット・オハラへの執念
彼女は『風と共に去りぬ』のオーディションで最終段階まで残りましたが、結果はヴィヴィアン・リーに決まりました。この時の挫折が彼女の闘争心に火をつけ、後に「スカーレットを演じられなかったことが、私を本物の女優にした」と語るほど、彼女のキャリアの大きな原動力となりました。
2. スタジオを黙らせた「赤毛のガッツ」
彼女は映画会社との契約においても非常にタフな交渉を行うことで有名でした。自分に合わない役は断固として拒否し、自らの価値を認めさせるために戦いました。その姿勢は時に「扱いにくい」と評されることもありましたが、彼女のプロ意識の高さは誰もが認めるところでした。
3. 呪われた映画『征服者』
ジンギスカンを描いた映画『征服者』(1956年)で、彼女はジョン・ウェインと共演しました。しかし、この撮影現場は核実験場の近くにあり、後にスーザンを含む多くのスタッフ・キャストが癌を患うという悲劇に見舞われました。彼女の早すぎる死も、この撮影が影響したのではないかと言われています。
4. 本物の感情を求めて
彼女の演技は、常に自らの経験や内なる痛みを引き出したものでした。「演技をすることは、自分の魂を少しずつ削り取ることだ」と語った彼女は、リハーサルから本番さながらの熱量で挑み、共演者を圧倒することもしばしばでした。
5. 最後のオスカー登壇
1974年、病魔に侵されながらも、彼女はアカデミー賞授賞式のプレゼンターとして壇上に立ちました。かつての輝きを失わない凛とした姿に、会場からは割れんばかりの拍手が送られました。それが彼女の最後の公の場となりましたが、最期まで「女優」としての誇りを貫き通しました。
📝 まとめ:情熱を燃やし尽くした映画人生
スーザン・ヘイワードは、その燃えるような赤毛と決して折れない意志を武器に、銀幕に「人間の尊厳」を刻み込み続けた女優でした。
その歩みは、スカーレット・オハラ役の落選という挫折から始まり、アルコール依存症や死刑囚といった過酷な役柄を通じて、女性の強さと脆さ、そして再生の物語を体現し続けた不屈のプロセスでもありました。5度のオスカーノミネートという栄誉の裏側で、彼女は常に自分自身という名の戦場を戦い抜きました。
57歳で幕を閉じたその生涯は、最期まで前を見据え、魂を震わせて叫び続けたバーバラ・グレアムのような、激しくも高潔な、ひとつの勝利としての映画人生でした。
[出演作品]
1937 19歳
聖林(ハリウッド)ホテル Hollywood Hotel
1938 20歳
黄昏 The Sisters
1939 21歳
1941 23歳
4人の息子 Adam Had Four Sons
地下室の狂人 Among the Living
1942 24歳
1943 25歳
俳優志願 Young and Willing
1944 26歳
愛のあけぼの And Now Tomorrow
1946 28歳
1947 29歳
スマッシュ・アップ Smash-Up, the Story of a Woman
ザ・ロスト・モーメント The Lost Moment
1948 30歳
1949 31歳
1951 33歳
栄光の彼方に I’d Climb the Highest Mountain
1952 34歳
わが心に歌えば With a Song in My Heart
ゴールデングローブ賞主演女優賞
ラスティ・メン/死のロデオ The Lusty Men
1953 35歳
真紅の女 The President’s Lady
蛮地の太陽 White Witch Doctor
1954 36歳
1955 37歳
野性の女 Untamed
1956 38歳
1957 39歳
将軍ベッドに死す Top Secret Affair
1958 40歳
アカデミー賞主演女優賞
1959 41歳
バスク決死隊 Thunder in the Sun
愛は憎しみの彼方に Woman Obsessed
1961 43歳
裏街 Back Street
1963 45歳
愛の勝利 Stolen Hours
1964 46歳
愛よいずこへ Where Love Has Gone
1966 48歳
3人の女性への招待状 The Honey Pot
1967 49歳
1972 54歳
復讐の荒野 The Revengers
女弁護士ジェシー/逆転の最終弁論 Heat of Anger (TV)
さよならコール先生 Say Goodbye Maggie Cole (TV)
























