バラのつぼみ……その一言が、一人の巨人の虚飾に満ちた王国を崩壊させる。

新聞王ケーンの死の間際の言葉『バラのつぼみ』の謎を追い、一人の男の栄光と孤独をパズルのように描き出す。オーソン・ウェルズが25歳の若さで放ったこのデビュー作は、革新的な映像技術と物語構造を導入し、今なお『映画史上最高の傑作』と称えられ続ける金字塔。
市民ケーン
Citizen Kane
(アメリカ 1941)
[製作] オーソン・ウェルズ/リチャード・ベア/ジョージ・シェーファー
[監督] オーソン・ウェルズ
[原作] トーマス・モンロー/ビリー・ワイルダー
[脚本] オーソン・ウェルズ/ヘルマン・J・マンキーウィッツ/ジョン・ハウスマン
[撮影] グレッグ・トーランド
[音楽] バーナード・ハーマン
[ジャンル] ドラマ/ミステリー
[受賞]
アカデミー賞 オリジナル脚本賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー 作品賞
NY批評家協会賞 作品賞
キャスト

ジョセフ・コットン
(ジェデダイア・リーランド)
ドロシー・カミンゴア (スーザン・アレクサンダー・ケーン)
アグネス・ムーアヘッド (メアリー・ケーン夫人)
ルース・ウォリック (エミリー・モンロー・ノートン・ケーン)
レイ・コリンズ (ジェームズ・‘ジム’・W・ゲティス)
アースカイン・サンフォード (ハーバート・カーター)
エヴェレット・スローン (バーンスタイン)
ウィリアム・アランド (ジェリー・トンプソン)
ポール・スチュワート (レイモンド)

オーソン・ウェルズ
(チャールズ・フォスター・ケーン)

アラン・ラッド
(記者)
受賞・ノミネートデータ
| 受賞年 | 賞 | 部門 | 結果 |
| 1942 | 第14回アカデミー賞 | 脚本賞 | 受賞 |
| 1942 | 第14回アカデミー賞 | 作品賞 | ノミネート |
| 1942 | 第14回アカデミー賞 | 監督賞 | ノミネート |
| 1942 | 第14回アカデミー賞 | 主演男優賞 | ノミネート |
| 1942 | 第14回アカデミー賞 | 撮影賞(白黒) | ノミネート |
| 1942 | 第14回アカデミー賞 | 室内装置賞 | ノミネート |
| 1942 | 第14回アカデミー賞 | 作曲賞 | ノミネート |
| 1942 | 第14回アカデミー賞 | 編集賞 | ノミネート |
| 1942 | 第14回アカデミー賞 | 録音賞 | ノミネート |
- 評価
- 公開当時はモデルとされた新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストによる凄まじい上映妨害に遭い、興行的には振るわずアカデミー賞も脚本賞のみに終わりました。しかし、戦後にフランスの映画批評家らによって再評価され、1952年以降の「英国映画協会」による世界の映画監督・批評家が選ぶ史上最高映画ベストテンでは長らく1位に君臨し続けました。
パン・フォーカス(ディープ・フォーカス)やロー・アングル、重層的な音響演出など、現代映画の文法をたった一本で確立した奇跡的な作品と評価されています。
- 公開当時はモデルとされた新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストによる凄まじい上映妨害に遭い、興行的には振るわずアカデミー賞も脚本賞のみに終わりました。しかし、戦後にフランスの映画批評家らによって再評価され、1952年以降の「英国映画協会」による世界の映画監督・批評家が選ぶ史上最高映画ベストテンでは長らく1位に君臨し続けました。
あらすじ:巨人の死と「バラのつぼみ」
巨大な邸宅ザナドゥで、新聞王チャールズ・フォスター・ケーン(オーソン・ウェルズ)が「バラのつぼみ」という謎の言葉を残して息を引き取った。ニュース映画の記者トンプソン(ウィリアム・アランド)は、その言葉の真意を探るべく、ケーンの生前を知る人物たちへの取材を始める。
ケーンを育てた銀行家サッチャー、親友のリーランド(ジョセフ・コットン)、忠実な秘書バーンスタイン(エヴェレット・スローン)、そして二番目の妻スーザン(ドロシー・カミンゴア)。彼らが語る回想を通じて、野心に燃えた若きケーンがいかにして新聞帝国を築き上げ、富と権力を手にしたかが明かされていく。しかし、語られれば語られるほど、ケーンという人物の正体は掴みどころを失い、彼がどれほど深い孤独の中にいたかが浮き彫りになっていく。
結局、トンプソンは「バラのつぼみ」の謎を解くことができず、「一人の人間の生涯を一言で説明することなどできない」と結論づけてザナドゥを去る。しかし、カメラは記者が去った後の屋敷の片隅に積み上げられた遺品の山を映し出す。
そこには、ケーンが幼い頃、両親と引き離される直前まで遊んでいた「雪ぞり」があった。作業員がそれを無価値なガラクタとして焼却炉に放り込むと、炎の中でそりの表面に描かれていた文字と花の絵が浮かび上がる。そこには「バラのつぼみ(Rosebud)」と記されていた。ケーンが死の間際に求めたのは、巨万の富でも権力でもなく、かつて持っていた無垢な愛情と、奪われた少年時代の記憶だったのだ。
エピソード・背景
- グレッグ・トーランドの革新
撮影監督のトーランドは、手前から奥まで完全にピントを合わせる「ディープ・フォーカス」を極限まで追求。オーソン・ウェルズはトーランドの貢献を非常に重視し、メインタイトルで監督である自身の名前と同等にトーランドの名を表示させる異例の敬意を払いました。 - ハーストによる上映禁止運動
自分の不倫騒動などをモデルにされた新聞王ハーストは、傘下のメディアを総動員して本作を攻撃。配給会社に「ネガを買い取って焼却しろ」と圧力をかけるなど、映画史に残る執拗な妨害工作を行いました。 - 低アングル撮影の秘密
天井まで映し出す圧倒的なロー・アングルを実現するため、ウェルズはスタジオの床を掘り抜いてカメラを設置しました。それまでの映画に欠けていた「天井」を映し出すことで、閉塞感や権威的な威圧感を表現しました。 - オーソン・ウェルズの全権
若干24歳でハリウッドに乗り込んだウェルズは、RKO社と「製作・監督・脚本・主演の全権を握り、最終編集権を持つ」という、当時では考えられないほど自由な契約を結びました。これが「ハリウッド最大の博打」と呼ばれ、後の傑作を生む土壌となりました。 - バーナード・ハーマンの映画デビュー
後にヒッチコック作品などで名を馳せる巨匠バーナード・ハーマンの映画音楽第一作です。映像の編集と音楽を密接に同期させる手法は、当時としては極めて斬新でした。 - 複雑なフラッシュバック構造
時間軸をバラバラにし、複数の視点から人物を描く構成は、当時の映画としてはあまりに難解とされましたが、これが後のミステリーやドラマの定石となりました。 - ジグソーパズルの暗喩
妻スーザンが屋敷でパズルに耽るシーンは、映画そのものがケーンという人物の欠片を集めるパズルであることを象徴しており、ウェルズの緻密な演出が光ります。
まとめ:作品が描いたもの
『市民ケーン』は、物質的な成功の虚しさと、失われた純粋さへの郷愁を、完璧な映像美で描き出した悲劇です。ケーンは世界を意のままに操ろうとしましたが、結局、自分を本当に愛してくれる存在や、幼い頃に失った心の平和を買い戻すことはできませんでした。
この映画が今日まで称賛される理由は、その技術的な先駆性だけでなく、人間の本質を突いた鋭い洞察にあります。ケーンという鏡に映し出されるのは、野心、傲慢、孤独、そして誰もが抱える「心の欠落」です。たった一本の映画の中に、人生の光と影のすべてを凝縮させたオーソン・ウェルズの天才性は、今もなお色褪せることなく、後進の映画人たちに無限のインスピレーションを与え続けています。
〔シネマ・エッセイ〕
焼却炉の炎の中で、「バラのつぼみ」の文字が黒く焦げて消えていく。その瞬間、私たちは目撃者となります。一人の男が一生をかけて追い求め、ついに手にできなかった「何か」が、誰にも知られず灰になる様を。そのあまりにも切ない虚無感こそが、この映画の真の姿なのかもしれません。
グレッグ・トーランドが映し出す深く鋭い影は、ケーンが築き上げた帝国の巨大さと、その影に隠れた心の歪みを克明に刻んでいます。オーソン・ウェルズの圧倒的な存在感は、若さゆえの万能感と、老いてゆく者の絶望を凄まじい熱量で演じきっています。
映画はジグソーパズルのように、最後の一片を私たちに提示して終わりますが、それでパズルが完成したわけではありません。ケーンの生涯は、あの灰の中に消えた言葉とともに、永遠に解けない謎として私たちの心に残り続けるのです。

