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わが谷は緑なりき How Green was my Valley 1941

1940

わが谷は緑なりき (字幕版)

わが谷は緑なりき (字幕版)

わが谷は緑なりき
How Green was my Valley

(アメリカ 1941)

[製作] ダリル・F・ザナック
[監督] ジョン・フォード
[原作] リチャード・リューリン
[脚本] フィリップ・ダン
[撮影] アーサー・C・ミラー
[音楽] アルフレッド・ニューマン
[ジャンル] ドラマ/恋愛
[受賞]
アカデミー賞 助演男優賞(ドナルド・クリスプ)/美術監督賞/撮影賞/監督賞/作品賞
NY批評家協会賞 監督賞


キャスト

ウォルター・ピジョン (グラフィッド)

モーリン・オハラ
(アンガラッド・モーガン)

アンナ・リー (ブロンウィン・モーガン)
ドナルド・クリスプ (グウィリム・モーガン)

ロディ・マクドウォール
(ヒュー・モーガン)

ジョン・ローダー (イアント・モーガン)
サラ・オールグッド (ベス・モーガン)
バリー・フィッツジェラルド (シファーサ)
パトリック・ノーレス (アイヴァー・モーガン)
モートン・ローリー (ジョナス)



ストーリー

『わが谷は緑なりき』は1941年に公開されたアメリカのドラマ映画。監督はジョン・フォード、主演はウォルター・ピジョン、モーリン・オハラ、ロディ・マクドウォール。映画は、19世紀末から20世紀初頭のウェールズの炭鉱村を舞台に、モーガン家の生活を描き、家族の絆と産業革命による変化を探求している。作品は第14回アカデミー賞で作品賞を受賞し、ジョン・フォードも監督賞を獲得した。

物語は、年老いたヒュー・モーガン(ロディ・マクドウォール)が、子供時代を振り返る形で語られる。ヒューはウェールズの美しい谷で、炭鉱労働者の家族として育った。彼の父グウィリム(ドナルド・クリスプ)は厳格で誠実な男であり、母(サラ・オールグッド)は家族を支える温かい存在である。

モーガン家は炭鉱村の共同体の中で幸せに暮らしていたが、産業革命とともに炭鉱の労働条件が悪化し、村の生活は次第に厳しくなっていく。ヒューは家族の苦境を目の当たりにし、成長する過程で多くの試練に直面する。村には労働争議が巻き起こり、モーガン家もその影響を受ける。

中盤では、ヒューが学校でのいじめや炭鉱労働の厳しさを経験し、家族の中にも対立が生じる。姉アンガラッド(モーリン・オハラ)は村の牧師ミスター・グリフィス(ウォルター・ピジョン)に恋をするが、家族や村の伝統に縛られた選択を迫られる。ヒューは幼少期から青年期へと成長する中で、家族の絆と村の変化を見守り続ける。

エピソード

アカデミー賞受賞:
映画は第14回アカデミー賞で作品賞を含む5部門で受賞し、ジョン・フォードが監督賞を獲得した。この受賞は、同年の人気作『市民ケーン』を押さえての快挙であり、当時の映画業界で大きな話題となった。

原作と脚本:
映画はリチャード・ルウェリンのベストセラー小説を原作としているが、脚本にはいくつかの変更が加えられている。特に、原作に登場するいくつかのキャラクターやエピソードは、映画の流れをスムーズにするために省略された。

セットの再現:
第二次世界大戦中のヨーロッパでの撮影が困難であったため、カリフォルニア州のサンタモニカでウェールズの炭鉱村を忠実に再現したセットが作られた。このセットは、その後も多くの映画で再利用された。

ジョン・フォードとモーリン・オハラの関係:
フォード監督とオハラはこの映画をきっかけに長い友情と協力関係を築いたが、撮影中にはフォードがオハラに厳しい指導を行ったとされる。彼はオハラを非常に尊敬していたが、その期待の高さから、時に厳しい言動を取ることがあった。

スタッフとキャストの摩擦:
撮影中、フォードは俳優たちに労働者階級のリアリティを感じさせるために厳しい演出を行ったが、その結果、いくつかの摩擦が生じた。特にウォルター・ピジョンは、フォードのディレクションに不満を抱いていたとされる。

リチャード・ルウェリンの反応:
原作者リチャード・ルウェリンは映画化に当初不安を感じていたが、完成作品を見てその質の高さに感銘を受けたと伝えられている。彼は特にフォードの演出を高く評価していた。

モーリン・オハラの困難:
モーリン・オハラは撮影当時20歳だった。撮影中、モーリン・オハラは厳しい気象条件やタイトなスケジュールに直面し、特に感情的に負担のかかるシーンで大きな挑戦を感じた。また、彼女が演じたキャラクターの複雑さが彼女の演技に深みを与え、彼女のキャリアにおいても重要な役割を果たした。

サラ・オールグッドの演技:
サラ・オールグッドは、モーガン家の母親役を演じ、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされた。彼女の母性的で温かい演技は多くの観客に感動を与えた。

アルフレッド・ニューマンの音楽:
映画音楽を担当したアルフレッド・ニューマンは、映画の感情的なトーンを強調するために壮大で感動的なスコアを作曲し、その音楽は後に多くの映画ファンに愛されることとなった。

セットでの小競り合い:
フォードは、セットでの小さな衝突を故意に起こすことがあり、これにより俳優たちの感情を引き出し、リアリティのある演技を撮影に活かしたと言われている。

映画の影響力:
映画は公開後、アメリカ国内だけでなく国際的にも大きな影響を与え、特にウェールズの文化や労働者階級の生活に対する理解を深めるきっかけとなった。

公開後の評価:
映画は公開後、批評家から絶賛され、特に家族ドラマとしての完成度が高く評価された。また、興行的にも大成功を収め、多くの観客に愛され続けている。

撮影技術:
映画の撮影監督であるアーサー・C・ミラーは、白黒フィルムを使用して、感動的で美しい映像を作り上げた。ちなみに、南カリフォルニアの花の色がウェールズの花の色と一致しなかったため、この映画は白黒で撮影されたとも言われる。

テーマの普遍性:
映画は、家族やコミュニティの力とそれに伴う喪失という普遍的なテーマを扱っているため、時代を超えて多くの観客に共感を与えている。



『わが谷は緑なりき』は、ジョン・フォードの巧みな演出と、家族愛と産業革命による変化を描いた感動的な物語で、多くの観客の心を捉えた。特に、ロディ・マクドウォールの幼少期から青年期への成長がリアルに描かれており、観客に強い共感を与える。アーサー・C・ミラーの撮影とアルフレッド・ニューマンの音楽も、映画の情感豊かなトーンを支える重要な要素となっている。

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