コンスタンス・タルマッジ
Constance Talmadge
1897年4月19日、アメリカ・ニューヨーク・ブルックリン生まれ。
1973年11月23日、アメリカ・カリフォルニア・ロサンゼルスで死去(肺炎)。享年76歳。
本名コンスタンス・アリス・タルマッジ。
身長168cm。
姉のノーマ・タルマッジと共に活躍。
コンスタンス・タルマッジは、アメリカのサイレント映画時代を代表する女優で、特にコメディ映画での活躍が際立っていた。彼女はサイレント映画の黄金期に大いに人気を博し、その軽妙な演技で観客を魅了し続けた。
コンスタンスはニューヨーク州ブルックリンで生まれた。家庭は貧しく、父親はアルコール依存症で家族を捨てたため、母親のペグが娘たちを育てるためにあらゆる手段を講じた。母親の影響でコンスタンスと姉のノーマは映画界に入ることになった。コンスタンスの映画デビューは1914年の短編コメディで、彼女の才能はすぐに認められた。
1916年、D・W・グリフィスの大作『イントレランス』で「マウンテン・ガール」役を演じ、一躍有名になった。彼女のシーンが映画のハイライトの一つとなり、グリフィスは後にその部分を拡張して『バビロンの陥落』(1919年)として再編集するほどだった。
1920年代、コンスタンスは多くのコメディ映画に出演し、その軽妙でチャーミングな演技で人気を集めた。彼女の代表作には、『太古の恋人』、『亭主教育』、『粋な殿様』などがあり、どれもコメディ映画として大成功を収めた。彼女は自身の映画制作会社も立ち上げ、映画業界での地位を確立した。
コンスタンスの私生活は華やかで、4度の結婚を経験している。最初の結婚相手はギリシャのタバコ輸入業者ジョン・ピアログルーで、1920年に結婚したが、1922年に離婚。その後、イギリスの軍人アラスター・マッキントッシュ、デパート王タウンゼンド・ネッチャーと結婚し、最後の夫はウォール街の株式仲買人ウォルター・M・ギブリンだった。ギブリンとは1939年に結婚し、1964年に彼が亡くなるまで一緒にいた。
コンスタンスは、パーティー好きで多くの男性と浮名を流すことで知られていた。特に映画プロデューサーのアーヴィング・タルバーグと一時的に交際していたことは大きな話題となったが、彼は後にノーマ・シアラーと結婚した。
コンスタンスはサイレント映画の終焉と共に引退を決意し、1930年代にはスクリーンから姿を消した。その後は実業家として不動産投資などで成功を収め、富を築いた。しかし、晩年にはアルコール依存症に苦しみ、1973年にロサンゼルスで肺炎により75歳で亡くなった。
[出演作品]
1914 16歳
Buddy’s First Call
1915 17歳
Captivating Mary Carstairs
1916 18歳
1918 20歳
心臓乱舞 Good Night, Paul
緑の靴下 A Pair of Silk Stockings
1919 21歳
試みの結婚 Experimental Marriage
隠れたる冒険 The Veiled Adventure
気侭な妻 A Temperamental Wife
笑みのたたり A Virtuous Vamp
1920 22歳
罪人を求めて In Search of a Sinner
恋の名人 The Love Expert
思出の海水着 Good References
危険な商売 Dangerous Business
1921 23歳
愛人の許へ Mama’s Affair
恋のお稽古 Lessons in Love
亭主の好きな Wedding Bells
1922 24歳
太古の恋人 The Primitive Lover
恋に国境なし East Is West
1923 25歳
娘も年頃 Woman’s Place
ダルシー Dulcy
1924 26歳
金魚娘 The Goldfish
桃色の夜は更けて Her Night of Romance
滑稽ホリウッド In Hollywood with Potash and Perlmutter
1925 27歳
恋の手ほどき Learning to Love
亭主教育 Her Sister from Paris
1926 28歳
粋な殿様 The Duchess of Buffalo
1927 29歳
桃色女白浪 Venus of Venice
恋のかけひき Breakfast at Sunrise
1929 31歳
ヴィーナス Venus
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