ジュディ・ガーランド
Judy Garland
1922年6月10日、アメリカ・ミシガン・グランド・ラピッズ生まれ。
1969年6月22日、イギリス・ロンドンで死去(睡眠薬の多量摂取)。享年47歳。
本名フランシス・エセル・ガム。
身長152cm。
両親がボードビリアンだったため、幼い頃から舞台に立ち、2人の姉と“カム・シスターズ”を結成、人気を得る。
14歳で「フットボール・パレード」で映画デビュー。
18歳の時「オズの魔法使」でミュージカルスターの座に。
ヴィンセント・ミネリ監督と離婚。
ライザ・ミネリの母。
ジュディ・ガーランドは、アメリカの映画女優、歌手で、ハリウッドの黄金時代を象徴する存在。彼女はその素晴らしい歌声と演技力で知られ、特に映画『オズの魔法使』で演じたドロシー役が有名で、劇中で歌った「虹の彼方に/Over the Rainbow」は彼女の代名詞となった。
ジュディは幼少期から舞台に立ち、MGMと契約したのは1935年、彼女が13歳の時だった。ミッキー・ルーニーとの共演作で注目を集め、『オズの魔法使』で一躍スターとなる。この作品で彼女はアカデミー・ジュブナイル賞を受賞し、以降、ハリウッドのトップ女優として多くのヒット作に出演。
彼女の私生活は波乱に満ちていた。5度の結婚と薬物依存、自己イメージに対する深い悩みなど、彼女は常にスタジオからのプレッシャーと戦っていた。彼女の最も有名な結婚は、映画監督のヴィンセント・ミネリとのもの。二人の間には後に女優・歌手として有名になるライザ・ミネリが生まれた。
1960年代に入ると、ジュディは映画からコンサート活動へと重心を移し、1961年の『Judy at Carnegie Hall』は大成功を収め、グラミー賞を受賞。しかし、薬物依存による健康の悪化が続き、1969年にロンドンでバルビツール酸系薬物の過剰摂取により亡くなった。47歳だった。
キャサリン・ヘプバーンは彼女の親友であり、ジュディが深刻な鬱病に陥ったときはキャサリンの家に滞在して療養した。
彼女が亡くなった日、カンザス州で竜巻が発生した。
ジュディ・ガーランドはその生涯を通じて、映画史と音楽史に大きな影響を与え続けており、彼女の作品と歌声は今でも多くの人々に愛されている。
[出演作品]
1929 7歳
The Big Revue
1930 8歳
A Holiday in Storyland
The Wedding of Jack and Jill
1936 14歳
フットボール・パレード Pigskin Parade
1937 15歳
踊る不夜城 Broadway Melody of 1938
サラブレッド・ドント・クライ Thoroughbreds Don’t Cry
1938 16歳
初恋合戦 Love Finds Andy Hardy
1939 17歳
アカデミー賞特別賞
青春一座 Babes in Arms
1940 18歳
憧れの恋人 Andy Hardy Meets Debutante
ストライク・アップ・ザ・バンド Strike Up the Band
リトル・ネリー・ケリー Little Nellie Kelly
1941 19歳
美人劇場 Ziegfeld Girl
二人の青春 Life Begins for Andy Hardy
ブロードウェイ Babes on Broadway
1942 20歳
フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル For Me and My Gal
1943 21歳
プレゼンティング・リリー・マーズ Presenting Lily Mars
万雷の歓呼 Thousands Cheer
ガール・クレイジー Girl Crazy
1944 22歳
若草の頃 Meet Me in St. Louis
1945 23歳
二日間の出会い The Clock
ジーグフェルド・フォーリーズ Ziegfeld Follies
1946 24歳
ハーヴェイ・ガールズ The Harvey Girls
雲流るるはてに Till the Clouds Roll By
1948 26歳
踊る海賊 The Pirate
1949 27歳
グッド・オールド・サマータイム In the Good Old Summertime
1950 28歳
サマー・ストック Summer Stock
1954 32歳
ゴールデン・グローブ賞主演女優賞
ペペ Pepe
1961 39歳
ニュールンベルグ裁判 Judgment at Nuremberg
1963 41歳
愛の奇跡 A Child Is Waiting
愛と歌の日々 I Could Go On Singing
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