ミリアム・ホプキンス
Miriam Hopkins
1902年10月18日、アメリカ・ジョージア・ベインブリッジ生まれ。
1972年10月9日、アメリカ・ニューヨークで死去(脳血栓)。享年69歳。
本名エレン・ミリアム・ホプキンス。
身長160cm。
コーラスガールを経て舞台女優となり、28歳の時スクリーン・デビュー。
ミリアム・ホプキンスは、アメリカの女優であり、その優雅な魅力と演技力でハリウッドの黄金時代において名を馳せた。彼女のキャリアは舞台から始まり、後に映画界で大きな成功を収め、多くの名作に出演した。
ミリアムはジョージア州サバンナで生まれ、アラバマ州バーミンガムで育った。バーミンガムの高校を卒業後、ニューヨークに移り、演技の勉強を始めた。1920年代にはブロードウェイでの舞台活動で注目を集め、その才能が認められた。
1930年代初頭、パラマウント映画と契約し、映画デビューを果たした。『ジキル博士とハイド氏』での彼女の演技は高く評価された。続く『極楽特急』で主演を務め、これも大ヒットとなった。
ミリアムの代表作には、『生活の設計』、『虚栄の市』などがある。特に『虚栄の市』は、カラー映画としては最初期のものであり、彼女の演技はアカデミー主演女優賞にノミネートされた。
彼女のキャリアには数多くのゴシップやスキャンダルが伴った。特に有名なのは、彼女の共演者や監督との対立である。彼女は完璧主義者であり、時には共演者と衝突することもあった。
中でも有名なスキャンダルは、彼女とベティ・デイヴィスとの確執である。ミリアムとベティは『旧友』で共演したが、撮影現場では二人の対立が激しくなった。ベティはミリアムを「プロフェッショナルなライバル」として尊敬する一方で、ミリアムの演技に対する妨害や口論が絶えなかったと伝えられている。
また、ミリアムは私生活でも注目を集めた。彼女は4回結婚し、離婚を繰り返した。その中でも最も注目されたのは、劇作家アナトール・リトヴァクとの結婚と離婚である。この結婚は短命に終わり、リトヴァクとの激しい口論や不倫疑惑が報じられた。
1940年代以降、彼女の映画出演は減少し、テレビドラマや舞台に活動の場を移した。彼女は演技に対する情熱を持ち続け、生涯にわたりその才能を発揮し続けた。1972年にニューヨークで亡くなるまで、彼女の演技は多くのファンに愛され続けた。
[出演作品]
1928 26歳
The Home Girl
1930 28歳
Fast and Loose
1931 29歳
陽気な中尉さん The Smiling Lieutenant
二十四時間 24 Hours
ジキル博士とハイド氏 Dr. Jekyll and Mr. Hyde
1932 30歳
明暗二人女 Two Kinds of Women
闇に踊る Dancers in the Dark
世界とその男 World and the Flesh
極楽特急 Trouble in Paradise
1933 31歳
暴風の処女 The Story of Temple Drake
生活の設計 Design for Living
南風 The Stranger’s Return
1934 32歳
わたしの凡てを All of Me
彼女は僕を愛さない She Loves Me Not
世界一の金持娘 The Richest Girl in the World
1935 33歳
虚栄の市 Becky Sharp
生活への道 Splendor
バーバリーコースト Barbary Coast
1936 34歳
この三人 These Three
男は神に非ず Men Are Not Gods
1937 35歳
木によじ登る女 Woman Chases Man
底抜けトップガール作戦 Wise Girl
1939 37歳
The Old Maid
1940 38歳
ヴァージニアの血闘 Virginia City
1942 40歳
A Gentleman After Dark
1943 41歳
旧友 Old Acquaintance
1949 47歳
1951 49歳
The Mating Season
1952 50歳
黄昏 Carrie
The Outcasts of Poker Flat
1954 52歳
Lux Video Theatre (TV)
1961 59歳
噂の二人 The Children’s Hour
1964 62歳
Fanny Hill
1966 64歳
逃亡地帯 The Chase
1970 68歳
ハリウッド殺人事件 Savage Intruder
コメント