ウィリアム・ワイラー
William Wyler
1902年7月1日、フランス・ミュルーズ生まれ。
1981年7月27日、アメリカ・カリフォルニア・ロサンゼルスで死去。享年79歳。
父はユダヤ系スイス人、母はユダヤ系ドイツ人。
フランスで教育を受けて18歳の時渡米。
宣伝係で映画会社に入り、助監督を経て、23歳の時監督デビュー。
ウィリアム・ワイラーは、ハリウッド黄金時代を代表する監督の一人である。彼は、その緻密な演出と優れたストーリーテリングで知られ、多くの名作を手掛けた。
ワイラーはフランスのミュルーズで生まれ、ドイツで育った。
1920年代にアメリカに移住し、ユニバーサル・スタジオでキャリアをスタートさせた。初期の頃は、短編映画や低予算の西部劇を手掛け、その後、徐々に長編映画へと進出した。
1936年の『孔雀夫人』で初めて注目を集め、その後、『嵐が丘』や『我等の生涯の最良の年』などの作品でその地位を確立した。
『我等の生涯の最良の年』は、第二次世界大戦後のアメリカを描いた感動的なドラマであり、アカデミー賞で作品賞、監督賞を含む7部門を受賞した。
『ローマの休日』では、オードリー・ヘプバーンを主演に迎え、彼女の名を一躍有名にした。
また、『ベン・ハー』では、壮大な歴史ドラマを描き、11部門でアカデミー賞を受賞するという偉業を成し遂げた。この作品は、映画史における大作として知られており、特に戦車競走のシーンは今なお語り継がれている。
ワイラーの作品は、その緻密な演出とキャラクターの深い描写が特徴であり、彼の監督作品には常に高い品質が保証されていた。彼はまた、俳優たちからも高く評価され、多くの俳優が彼の作品でアカデミー賞を受賞している。
ウィリアム・ワイラーは、その多才な才能と卓越した演出力で、映画史に深く刻まれた存在である。彼の作品は今なお多くの観客に愛され続け、その遺産は映画界において不滅のものとして輝き続けている。
[監督作品]
1925 23歳
The Crook Buster
1926 24歳
稲妻の男 Lazy Lightning
戦友の為 The Stolen Ranch
1927 25歳
新時代 Blazing Days
1928 26歳
君を尋ねて三千里 Anybody Here Seen Kelly?
1929 27歳
仮の塒 The Shakedown
恋のからくり The Love Trap
1930 28歳
砂漠の生霊 Hell’s Heroes
嵐 The Storm
1931 29歳
北海の漁火 A House Divided
1932 30歳
鉄血士官校 Tom Brown of Culver
1933 31歳
やりくり宝船 Her First Mate
巨人登場 Counsellor at Law
1934 32歳
白蛾 Glamour
1935 33歳
お人好しの仙女 The Good Fairy
1936 34歳
この三人 These Three
大自然の凱歌 Come and Get It
孔雀夫人 Dodsworth
1937 35歳
デッド・エンド Dead End
1938 36歳
1939 37歳
1940 38歳
月光の女 The Letter
西部の男 The Westerner
1941 39歳
偽りの花園 The Little Foxes
1942 40歳
ミニヴァー夫人 Mrs. Miniver
アカデミー賞作品賞/監督賞
1944 42歳
メンフィス・ベル Memphis Belle
1946 44歳
我等の生涯の最良の年 The Best Years of Our Lives
アカデミー賞監督賞
1949 47歳
1951 49歳
探偵物語 Detective Story
1952 50歳
黄昏 Carrie
1953 51歳
ローマの休日 Roman Holiday
1955 53歳
必死の逃亡者
1956 54歳
友情ある説得 Friendly Persuasion
カンヌ映画祭グランプリ
1958 56歳
大いなる西部 The Big Country
1959 57歳
ベン・ハー Ben-Hur
アカデミー賞作品賞/監督賞
1961 59歳
噂の二人 The Children’s Hour
1965 63歳
コレクター The Collector
1966 64歳
おしゃれ泥棒 How to Steal a Million
1968 66歳
ファニー・ガール Funny Girl
1970 68歳
L・B・ジョーンズの解放 The Liberation of L.B. Jones
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