ジョージ・スティーヴンス
George Stevens
1904年12月18日、アメリカ・カリフォルニア・オークランド生まれ。
1975年3月8日死去(心不全)。享年70歳。
20歳の頃から撮影監督として30本以上の作品で活躍。
26歳の時監督デビュー。
30~60年代の代表的な監督として名を残す。
ジョージ・スティーヴンスは、アメリカの映画監督、プロデューサー、脚本家であり、その多彩な作品と卓越した映画作りの技術で広く評価されている。
カリフォルニア州オークランドで生まれ、映画業界において長いキャリアを築き上げた。
スティーヴンスのキャリアは1920年代にカメラマンとして始まり、後に監督に転向した。
彼の初期の作品には、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースが主演するミュージカル映画『トップ・ハット』(1935年)や『スイング・タイム』(1936年)などがある。これらの作品でスティーヴンスはコメディとロマンスのセンスを見せ、人気を博した。
1940年代には、スティーヴンスはよりシリアスなドラマ作品に取り組むようになり、彼の代表作の一つである『シェーン』(1953年)を制作した。この西部劇は、名誉と正義をテーマにした深い物語と美しい映像で知られ、アカデミー賞にもノミネートされた。
1951年の『陽のあたる場所』では、モンゴメリー・クリフトとエリザベス・テイラーが主演し、スティーヴンスはこの作品でアカデミー監督賞を受賞した。この映画は、アメリカンドリームの裏側にある悲劇を描き、そのリアリズムと感情表現が高く評価された。
スティーヴンスのもう一つの重要な作品は、1959年の『日曜日は別れの時』である。この映画は、第二次世界大戦後のヨーロッパを舞台にした感動的な物語で、スティーヴンスは再びアカデミー監督賞を受賞した。
晩年には、スティーヴンスは歴史的な大作にも挑戦し、1965年の『ジーン・シモンズの大いなる野望』を制作した。
彼の作品は、多様なジャンルにわたるものの、一貫して人間ドラマと感情の深さを追求している点で共通している。
ジョージ・スティーヴンスは、その技術的な卓越性と物語の力強さで映画史に大きな足跡を残した。彼の作品は、今なお多くの映画ファンと批評家に愛され、映画作りの手本として尊敬され続けている。
[監督作品]
1930 26歳
Ladies Last
1932 28歳
The All-American
1933 29歳
The Cohens and Kellys in Trouble
1934 30歳
Hollywood Party
Bachelor Bait
Kentucky Kernels
1935 31歳
Laddie
The Nitwits
乙女よ嘆くな Alice Adams
愛の弾丸 Annie Oakley
1936 32歳
1937 33歳
踊る騎士〈ナイト〉 A Damsel in Distress
偽装の女 Quality Street
1938 34歳
モーガン先生のロマンス Vivacious Lady
1939 35歳
1940 36歳
病院の一夜 Virgil in the Night
1941 37歳
愛のアルバム Penny Serenade
1942 38歳
女性No.1 Woman of the Year
希望の降る街 The Talk of the Town
1943 39歳
陽気なルームメイト The More the Merrier
1948 44歳
ママの想い出 I Remember Mama
1951 47歳
陽のあたる場所 A Place in the Sun
アカデミー賞監督賞
1952 48歳
生きるためのもの Something to Live For
1953 49歳
シェーン Shane
1956 52歳
ジャイアンツ Giant
アカデミー賞監督賞
1959 55歳
アンネの日記 The Diary of Anne Frank
1965 61歳
偉大な生涯の物語 The Greatest Story Ever Told
1970 66歳
この愛にすべてを The Only Game in Town
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