リンダ・ダーネル
Linda Darnell
1923年10月16日、アメリカ・テキサス・ダラス生まれ。
1965年4月10日、アメリカ・イリノイ・シカゴで死去(焼死)。享年41歳。
本名モネッタ・エロイーズ・ダーネル。
ステージママの母親に育てられ、16歳で映画界へ売り込み、準主役でデビュー。
後年はアルコール中毒に陥り、友人宅で煙草の火の不始末で火事になり、亡くなった。
リンダ・ダーネルは、アメリカの女優であり、その美貌と演技力で1940年代から1950年代にかけてハリウッドで活躍した。彼女は多くのヒット作に出演し、映画ファンに広く愛された。
リンダは、テキサス州ダラスで生まれた。本名はモニエット・ドロシー・ダーネル。幼少期から美貌で注目され、母親の影響で早くからモデルや女優を志した。彼女は10代半ばで映画界に進出し、その若さと美しさで注目を集めた。
彼女は15歳でハリウッドに渡り、20世紀フォックスと契約した。彼女の初期のキャリアは、映画『HOTEL FOR WOMEN』や『スターダスト』などの作品で順調に進展した。彼女はすぐにその美貌と演技力でスタジオのトップスターの一人となった。
1940年代から1950年代にかけて、彼女は多くのヒット作に出演した。特に『アンナとシャム王』や『三人の妻への手紙』、『永遠のアンバー』などが代表作である。彼女の演技は幅広く、ドラマからコメディまで多岐にわたり、その多才さが評価された。
彼女は1943年にカメラマンのジョン・ローソンと結婚したが、この結婚は短命に終わった。彼女の私生活には多くの恋愛が報じられ、その一部はゴシップの対象となった。特に、結婚生活や恋愛関係における波乱が話題となった。
1950年代後半になると、彼女の映画出演は減少し、テレビや舞台での活動が中心となった。彼女はテレビドラマや舞台での演技でも成功を収めたが、映画界でのキャリアは徐々に衰退していった。
リンダ・ダーネルは1965年、イリノイ州シカゴで友人の家に滞在中に火事に巻き込まれ、悲劇的な死を遂げた。彼女は41歳という若さでこの世を去ったが、その美貌と演技力でハリウッド黄金時代を代表する女優として映画史に名を刻んだ。
[出演作品]
1939 16歳
HOTEL FOR WOMEN
1940 17歳
スターダスト Star Dust
快傑ゾロ The Mark of Zorro
1941 18歳
血と砂 Blood and Sand
1943 20歳
黒い霧の果て City Without Men
聖処女 The Song of Bernadette
1944 21歳
西部の王者 Buffalo Bill
明日を知った男 It Happened Tomorrow
1945 22歳
戦慄の調べ Hangover Square
堕ちた天使 Fallen Angel
1946 23歳
アンナとシャム王 Anna and the King of Siam
荒野の決闘 My Darling Clementine
1947 24歳
永遠のアンバー Forever Amber
1948 25歳
殺人幻想曲 Unfaithfully Yours
1949 26歳
三人の妻への手紙 A Letter to Three Wives
私も貴方も Everybody Does It
1950 27歳
復讐鬼 No Way Out
西部の二国旗 Two Flags West
1952 29歳
孤島の愛情 Saturday Island
海賊黒ひげ Blackbeard, the Pirate
1953 30歳
第二の機会 Second Chance
1954 31歳
私の恋 This Is My Love
1956 33歳
争闘の丘 Dakota Incident
1965 41歳
黒い拍車 Black Spurs
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