ジョゼフ・L・マンキーウィッツ
Joseph L. Mankiewicz
1909年2月11日、アメリカ・ペンシルヴェニア生まれ。
1993年2月5日、アメリカ・ニューヨーク・ベッドフォードで死去(心不全)。享年83歳。
本名ジョゼフ・レオ・マンキーウィッツ。
身長178cm。
20歳の頃から脚本家として頭角を現し、37歳の時映画監督としてデビュー。
ジョゼフ・L・マンキーウィッツは、アメリカの映画監督、脚本家、プロデューサーで、ハリウッド黄金時代を代表する存在である。彼はそのウィットに富んだ台詞や、文学的で洗練された映画スタイルで知られており、特に『三人の妻への手紙』(1949年)、『イヴの総て』(1950年)で2年連続してアカデミー賞の監督賞と脚本賞を受賞したことが有名である。
マンキーウィッツはペンシルヴェニア州ウィルクスバリで生まれ、ニューヨーク市で育った。彼の兄ハーマン・J・マンキーウィッツも著名な脚本家であり、ジョゼフは彼の影響を受けて映画業界に足を踏み入れた。彼は1920年代後半にベルリンで映画のインターテキストを翻訳する仕事を始め、その後ハリウッドに移り、パラマウント・ピクチャーズで脚本家としてのキャリアをスタートさせた。
彼は、1946年の『呪われた城』で監督デビューし、その後『イヴの総て』や『クレオパトラ』などの作品で高い評価を受けた。彼の映画は、その知的で洗練された脚本と、俳優たちから引き出す卓越した演技で知られている。特に『イヴの総て』は、14部門でアカデミー賞にノミネートされ、6部門で受賞するという偉業を成し遂げた。
彼は非常にプライバシーを大事にしていた。彼は2度結婚し、特に2番目の妻であるローズ・ストラドナーとの関係は深く、彼女の死後は彼の作品にもその影響が現れている。また、彼は映画業界内での政治やスタジオシステムに対する強い批判的視点を持っており、そのために時折スタジオとの間で対立することもあった。
指先が裂けるほどの痛みを伴う皮膚疾患を患っていたため、監督中に白い映画編集用手袋をはめることが多かった。
マンキーウィッツは晩年まで活躍を続けたが、1970年代以降は監督業から遠ざかり、1993年に83歳で亡くなった。彼の作品は今でも映画ファンや批評家に高く評価されており、彼が残した映画はハリウッドの歴史において重要な位置を占めている。
[脚本作品]
1933 24歳
不思議の国のアリス Alice in Wonderland
1934 25歳
男の世界 Manhattan Melodrama
麦秋 Our Daily Bread
[製作作品]
1936 27歳
激怒 Fury
1940 31歳
1942 33歳
女性No.1 Woman of the Year
1944 35歳
王國の鍵 The Keys of the Kingdom
[監督作品]
1946 37歳
呪われた城 Dragonwyck
記憶の代償 Somewhere in the Night
1947 38歳
幽霊と未亡人 The Ghost and Mrs. Muir
ボストン物語 The Late George Apley
1949 40歳
他人の家 House of Strangers
三人の妻への手紙 A Letter to Three Wives
アカデミー賞監督賞・脚本賞
1950 41歳
アカデミー賞監督賞・脚色賞
ゴールデングローブ賞脚本賞
ニューヨーク映画批評家協会賞監督賞
カンヌ国際映画祭審査員特別賞
復讐鬼 No Way Out
1951 42歳
うわさの名医 People Will Talk
1952 43歳
1953 44歳
ジュリアス・シーザー Julius Caesar
1954 45歳
1955 46歳
野郎どもと女たち Guys and Dolls
1958 49歳
静かなアメリカ人 The Quiet American
1959 50歳
1963 54歳
1966 57歳
三人の女性への招待状 The Honey Pot
1970 61歳
大脱獄 There Was a Crooked Man
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