ランブルフィッシュ
Rumble Fish
(アメリカ 1983)
[製作総指揮] フランシス・フォード・コッポラ
[製作] ダグ・クレイボーン/ジャン・カルロ・コッポラ/ロマン・コッポラ/フレッド・ルース
[監督] フランシス・フォード・コッポラ
[原作] S・E・ヒントン
[脚本] フランシス・フォード・コッポラ
[撮影] スティーヴン・H・バラム
[音楽] スチュワート・コープランド/スタン・リッジウェイ
[ジャンル] アクション/ドラマ
[受賞] サンセバスチャン国際映画祭 国際批評家連盟賞/国際カトリック映画事務局賞
キャスト
マット・ディロン
(ラスティ・ジェームズ)
ミッキー・ローク
(モーターサイクルボーイ)
ダイアン・レイン
(パティ)
デニス・ホッパー
(父)
ダイアナ・スカーウィド (カサンドラ)
ヴィンセント・スパーノ
(スティーヴ)
ニコラス・ケイジ
(スモーキー)
クリス・ペン
(B・J・ジャクソン)
ローレンス・フィッシュバーン
(ミジェット)
ウィリアム・スミス (警官パターソン)
マイケル・ヒギンズ (ハリガン)
グレン・ウィズロー (ビフ・ウィルコックス)
トム・ウェイツ
(ベニー)
ソフィア・コッポラ
(パティの妹)
ジャン・カルロ・コッポラ (ジェームズのいとこ)
S・E・ヒントン (娼婦)
概要
『ランブルフィッシュ』(Rumble Fish)は、フランシス・フォード・コッポラが監督した青春ドラマ映画で、S・E・ヒントンの同名小説を原作とする。
モノクロ映像を基調とした斬新なビジュアルが特徴で、若者たちの孤独や葛藤、兄弟愛が詩的に描かれる。
出演者にはマット・ディロン、ミッキー・ローク、ダイアン・レイン、デニス・ホッパーなどが名を連ねる。音楽はスチュワート・コープランドが手掛け、物語に独特のリズムを与えている。
ストーリー
ラスティ・ジェームズは、不良グループのリーダーとして抗争に明け暮れる日々を送っていた。家庭環境は荒んでおり、放任主義の父親と兄モーターサイクルボーイの不在が、彼の孤独感を強めていた。兄はかつてカリスマ的な存在であり、ラスティの憧れだったが、ある日突然姿を消していた。
ある夜、ラスティが敵対グループと衝突している最中に、突如としてモーターサイクルボーイが現れる。兄はかつての姿とは大きく異なり、暴力や抗争を嫌悪し、哲学的な態度を示す人物となっていた。兄弟は再び行動を共にするようになるが、価値観の違いが次第に顕著となり、ラスティは兄の変化に戸惑いを隠せない。
モーターサイクルボーイは水槽の中で争う闘魚「ランブルフィッシュ」に異様な関心を寄せており、それを川へ解放するという考えに執着する。その行動には、自分自身の自由を求める思いが投影されていた。一方、ラスティは兄への憧れと反発の間で揺れ動きながら、自身の未来について模索し始める。
やがて、兄がある大胆な行動を起こす中で、ラスティは自らの選択を迫られる状況に直面する。兄の信念とその行動を目の当たりにしながら、彼の中で変化が起きていく。
エピソード
- ラスティ・ジェームズのタトゥーは、若者の反抗心を象徴するためにデザインされたが、実際にマット・ディロンの肌に描かれたのは数時間かかった。
- 撮影中、ロークはディロンにとってメンター的な存在だったと言われている。ディロンはロークの演技に触発され、彼自身も役柄への深い理解を追求した。
- ディロンとレインは『アウトサイダー』に続いて共演。二人の自然な掛け合いがキャラクターの説得力を高めた。
- アルコール依存症の父親役を演じたホッパーは、ラスティ・ジェームズ兄弟の家庭環境にリアリティを与えた。
- コッポラはキャスト全員と頻繁に対話し、役柄について深く掘り下げた。特に、ロークとは兄の孤独と哲学的なキャラクターを作り上げるために議論を重ねた。
- スチュワート・コープランドが作曲したリズミカルな音楽は、映画の緊張感と詩的な雰囲気を引き立て、キャストの演技にも影響を与えた。
- ロークは兄のキャラクターに深みを与えるため、多くのシーンで即興的な演技を取り入れた。
- 原作者ヒントンは撮影現場に頻繁に顔を出し、キャラクターやストーリーの描写に意見を提供した。
- ダイアン・レインは当時18歳で、ラスティ・ジェームズの恋人パティを演じた。若さゆえの無邪気さとプロとしての真剣な態度が現場で高く評価された。
- 兄役を演じるロークは撮影中、キャラクターの孤独感を引き出すため、他のキャストとあまり交流せず、自分の世界に没入していた。共演者たちは彼の役作りに敬意を抱きながらも、近づき難さを感じたという。
- コッポラはモノクロ映像を選択し、登場人物たちの感情を強調する一方で、キャストが色の制約の中で感情表現を磨くよう促した。
コッポラがモノクロ映像を選んだことに、スタジオ側は興行的に不利だとして反対意見を出していた。しかし、コッポラは芸術的ビジョンを貫き、撮影を進めた。この決断が映画の象徴的なビジュアルを生んだ。 - 街のリアリティを追求するため、撮影地の地元住民をエキストラとして登場させた。地元の若者たちが街頭シーンや背景で自然な演技を見せている。
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