アニー・ジラルド
Annie Girardot
1931年10月25日、フランス・パリ生まれ。
本名アニー・スザンヌ・ジラルド。
コンセルヴァトワール(国立演劇学校)を卒業後、コメディ・フランセーズの舞台でデビュー。
「若者のすべて」で注目を浴びる。
アニー・ジラルド(1931年10月25日 – 2011年2月28日)は、フランスの女優で、1950年代から2000年代まで長きにわたって活躍した。舞台、映画、テレビと幅広い分野で活躍し、特に社会派ドラマや情感豊かな女性像を演じることで高い評価を得た。フランス映画史における最も重要な女優の一人とされ、その強さと脆さを併せ持つリアルな演技で、多くの観客を魅了した。
アニー・ジラルドはフランスのパリで生まれ、若い頃から演劇に興味を持った。パリの名門コンセルヴァトワール(国立高等演劇学校)を卒業し、1954年にフランスの伝統ある劇団コメディ・フランセーズに入団。彼女の演技力はすぐに注目され、クラシックな演劇作品で頭角を現した。
彼女を国際的に知らしめたのは、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「若者のすべて」だった。イタリア映画に出演したことで、フランス国内外での評価が高まり、以後、数々の名作に出演することとなる。
「若者のすべて」
ルキノ・ヴィスコンティ監督によるイタリア映画で、アニーは売春婦ナディアを演じた。この役は映画史に残る名演とされ、イタリアのダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞を受賞。ナディアの運命的な悲劇は、映画の感情的な中心となり、ジラルドの演技は観客の心を深く揺さぶった。
「Docteur Françoise Gailland」
癌を宣告された女性医師の葛藤を描いた作品で、ジラルドはリアルで力強い演技を見せ、セザール賞主演女優賞を受賞。
アニー・ジラルドの演技は、感情を剥き出しにするリアルなスタイルが特徴だった。彼女は単なる美しさではなく、人間の脆さ、苦しみ、強さをすべて表現できる女優であり、観客が共感しやすいキャラクターを演じることが多かった。社会派ドラマや女性の葛藤を描く作品に多く出演し、リアリズムと説得力のある演技で評価された。
アニーは情熱的でエネルギッシュな性格で知られ、多くの監督や俳優と親交を持った。彼女はイタリアの俳優レナート・サルヴァトーリと結婚し、娘が一人いる。しかし、サルヴァトーリとの結婚生活は波乱含みで、後年は別居状態にあった。
晩年になると、彼女はアルツハイマー病を患い、映画界から遠ざかることになるが、2000年代初頭まで映画やテレビで活躍し続けた。
エピソード
ヴィスコンティとの出会い
ルキノ・ヴィスコンティ監督の「若者のすべて」(1960年)は、アニー・ジラルドにとって国際的なブレイクのきっかけとなった。この映画で彼女が演じたナディアは、悲劇的な運命をたどる娼婦の役だった。ヴィスコンティは彼女の演技に感銘を受け、「アニーは魂を演じることができる女優だ」と絶賛した。撮影時、ヴィスコンティは彼女に対して非常に厳しく、何度もテイクを繰り返したが、彼女は一切動じず、全力で役に没頭したという。この作品によって、彼女はフランス国内だけでなくイタリア映画界でも評価を高めた。
ジャン・ギャバン
フランス映画界の大御所ジャン・ギャバンは若手俳優に対して厳しいことで有名だったが、ジラルドには特別な親しみを持ち、「彼女は本物の女優だ」と称賛。撮影現場ではまるで父娘のような関係で、ジラルドはギャバンから多くの演技のアドバイスを受けたという。
スキャンダルになった「愛のために死す」
1971年の「愛のために死す」(Mourir d’aimer)は、実際の事件に基づく教師と生徒の禁断の恋を描いた作品だった。この映画は社会的に大きな議論を呼び、フランス国内でセンセーショナルな話題となった。ジラルドは映画の成功によって「フランスの顔」とまで言われる存在となったが、内容が物議を醸したために、彼女自身もマスコミの標的になったことがあった。それでも彼女は、「私は真実を伝える役者でありたい」と語り、物議を恐れずに演技に打ち込んだ。
フェミニストの象徴としての存在
アニー・ジラルドは、1970年代にフランス映画界で「強い女性の象徴」となった。彼女の演じるキャラクターは、多くが独立心を持ち、社会的な偏見や困難に立ち向かう女性だった。「Docteur Françoise Gailland」では、病に立ち向かう女性医師を演じ、観客に強い印象を与えた。また、彼女は映画だけでなく、インタビューなどでも女性の権利について率直に語り、フェミニストのアイコンとしても支持された。
- 家庭と愛の葛藤
彼女はイタリア人俳優のレナート・サルヴァトーリと結婚したが、二人の関係は波乱に満ちていた。サルヴァトーリはアルコール問題を抱えており、彼女との関係も複雑だった。それでも、ジラルドは彼を支え続け、結婚生活を続けた。夫の死後、「彼との時間は困難だったが、決して後悔していない」と語った。
6.「私は愛される女優だった」—セザール賞での涙のスピーチ
2006年のセザール賞では、彼女が特別賞を受賞した際に、「私はかつて愛されていた女優だった。でも今、また愛されていることを感じる」と涙ながらに語り、会場は感動に包まれた。このスピーチは、彼女が長いキャリアを経て再び評価される喜びと、晩年の孤独が交差した象徴的な瞬間だった。
2000年代に入ると、ジラルドはアルツハイマー病を発症し、次第に公の場から姿を消した。2006年には家族が病状を公表し、多くのファンや映画関係者が彼女を支援する動きを見せた。晩年は介護施設で過ごし、2011年に79歳でこの世を去った。彼女の死はフランス映画界にとって大きな損失とされ、多くの映画人が彼女の功績を称えた。
[出演作品]
1957 年 26 歳
赤い灯をつけるな Le Rouge est Mis.
1958 年 27 歳
殺人鬼に罠をかけろ Maigret tend un piège
1960 年 29 歳
若者のすべて Rocco e i suoi fratelli
フランス女性と恋愛 La Francaise et L’Amour
1962 年 31 歳
悪徳の栄え Le Vice et la vertu
素晴らしき恋人たち Les Amours Celebres
1963 年 32 歳
悪い女 Le Crime ne paie pas
明日に生きる I Compagni
1964 年 33 歳
いっちょう頂き La bonne soupe
ピストン野郎 Un Monsieur de Compagnie
1965 年 34 歳
マンハッタンの哀愁 Trois chambres à Manhattan
ヴェネツィア国際映画祭女優賞
秘密大戦争 Secret Agents
1967 年 36 歳
パリのめぐり逢い Vivre pour vivre
華やかな魔女たち Le Streghe
1969 年 38 歳
Erotissimo
哀愁のストックホルム Story of a Woman
1970 年 39 歳
あの愛をふたたび Un homme qui me plaît
パリは気まぐれ Les Novices
1971 年 40 歳
愛のために死す Mourir d’aimer
1972 年 41 歳
ショック療法 Traitement De Choc
1973 年 42 歳
雪どけ Les Feux de la Chandeleur
1975 年 44 歳
ル・ジタン Le Gitan
サンチャゴに雨が降る Il Pleut Sur Santiago
1977 年 46 歳
Docteur Francoise Gailland
セザール賞主演女優賞
愛の地獄 A Chacun Son Enfer
1984 年 53 歳
暗殺の報酬 Adieu blaireau
1985 年 54 歳
遠い日の家族 Partir Revenir
1991 年 60 歳
1995 年 64 歳
セザール賞助演女優賞
2001 年 70 歳
セザール賞助演女優賞
2005 年 74 歳
隠された記憶 Caché
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