グリア・ガーソン
Greer Garson
1908年9月29日、北アイルランド・アルスター生まれ。
1996年4月6日、アメリカ・テキサス・ダラスで死去。享年87歳。
本名アイリーン・イヴリン・グリア・ガーソン。
身長168cm。
スコットランド系。
特待生でロンドン大学を卒業。
広告会社に就職後、劇団員としてローレンス・オリヴィエとコンビを組む。
「チップス先生さようなら」が出世作。
グリア・ガーソンは、イギリス出身の女優で、1940年代のハリウッドで最も成功した女優の一人。彼女は『ミニヴァー夫人』(1942年)での演技でアカデミー主演女優賞を受賞し、その後も7回ノミネートされている。
グリアはロンドンで生まれ、ロンドン大学でフランス語と18世紀の文学を専攻し、その後グルノーブル大学でも学んだ。彼女は最初、広告業界で研究図書館の責任者として働いていたが、演技に対する情熱を追い、舞台に立つことを決意。
彼女の演技キャリアは1930年代初めに始まり、バーミンガム・レパートリー・シアターで最初のプロの舞台出演を果たした。その後、BBCのテレビ放送でも活躍し、1936年にはウェスト・エンドで注目を集める。彼女の才能を見出したMGMのルイス・B・メイヤーによってハリウッドに招かれ、1939年に『チップス先生さようなら』で、すぐにオスカーにノミネートされる。
1940年代には、『プライドと偏見』、『心の旅路』、そして『ミニヴァー夫人』(1942年)での成功が続き、後者ではアカデミー賞を受賞。1942年から1946年まで5年連続でオスカーにノミネートされる記録を持つ。彼女の他の代表作には、『キュリー夫人』、『パーキントン夫人』、『愛の決断』などがある。
グリアは3度結婚している。特に、2番目の夫であるリチャード・ネイとは非常に年齢差があったことで話題になった。彼女の最後の結婚相手はテキサスの石油王バディ・フォーゲルソンであり、結婚後は彼と共にテキサスで過ごした。フォーゲルソンとの結婚後は映画出演を減らし、主に慈善活動や地域社会の活動に専念した。
ガーソンのオスカー受賞スピーチは5分30秒と長く、これがきっかけでアカデミー賞にスピーチ時間の制限が導入された。
彼女は、ジョージ・サンダースが俳優の道を進むように勧めたとされている。
第二次世界大戦中は、戦時国債の販売促進活動にも熱心に参加し、アメリカでの人気がさらに高まった。
1950年代に入ると、彼女は映画出演を減らし、1958年にはブロードウェイで『メイム叔母さん』に出演し好評を博した。1960年には『ルーズベルト物語』でエレノア・ルーズベルトを演じ、最後のアカデミー賞ノミネートを受けた。
晩年はテキサスで過ごし、1996年に91歳で亡くなった。彼女はその気品と才能でハリウッドの伝説的な女優として記憶されている。
[出演作品]
1934 26歳
Inasmuch…
1939 31歳
チップス先生さようなら Goodbye, Mr. Chips
1940 32歳
高慢と偏見 Pride and Prejudice
1941 33歳
塵に咲く花 Blossoms in the Dust
When Ladies Meet
1942 34歳
心の旅路 Random Harvest
ミニヴァー夫人 Mrs. Miniver
アカデミー賞主演女優賞
1943 35歳
キュリー夫人 Madame Curie
1944 36歳
パーキントン夫人 Mrs. Parkington
1945 37歳
愛の決断 The Valley of Decision
冒険 Adventure
1947 39歳
Desire Me
1948 40歳
奥様武勇伝 Julia Misbehaves
1949 41歳
フォーサイト家の女 That Forsyte Woman
1950 42歳
The Miniver Story
1951 43歳
The Law and the Lady
1953 45歳
Scandal at Scourie
ジュリアス・シーザー Julius Caesar
1954 46歳
Her Twelve Men
1955 47歳
荒野の貴婦人
1960 52歳
ルーズベルト物語 Sunrise at Campobello
ゴールデン・グローブ賞主演女優賞
1966 58歳
歌え!ドミニク The Singing Nun
1967 59歳
最高にしあわせ The Happiest Millionaire
1979 71歳
若草物語 Little Women (TV)
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