レスリー・ハワード
Leslie Howard
1893年4月3日、イギリス・ロンドン生まれ。
1943年6月1日、ビスケー湾で死去(戦死)。享年50歳。
本名レスリー・ハワード・シュタイナー。
身長179cm。
父はハンガリー系ユダヤ人移民の株式仲買人、母はドイツ・ユダヤ系のイギリス人。
舞台で活躍後、21歳の時スクリーン・デビュー。
スマートで繊細なイギリス人の理想男性的魅力で人気を得た。
マール・オベロンと不倫関係になった。
第2次世界大戦中、ドイツ軍に撃墜され亡くなった。
レスリー・ハワードは、イギリスの俳優、映画監督、プロデューサーで、特に1930年代にハリウッドで成功を収めた。彼は『風と共に去りぬ』でアシュリー・ウィルクス役を演じたことで知られている。舞台からキャリアを始め、繊細で知的な役柄を得意とし、数々の名作に出演した。
ハワードはダリッジ・カレッジで学び、銀行員として働き、第一次世界大戦中に従軍した。砲弾ショックと診断されて除隊となり、治療の一環で演劇を始める。1920年代にはロンドンの舞台で活躍し、1920年代後半にはアメリカに渡り、ブロードウェイで成功を収め、ハリウッドでも名声を築くようになった。彼は多くのロマンティックな役柄や知的な紳士役で知られており、その洗練された演技スタイルは多くの観客に愛された。
1930年代には『ロミオとジュリエット』、『ピグマリオン』、そして『風と共に去りぬ』など、数々の名作に出演。特に『ピグマリオン』では、ヒギンズ教授役で高い評価を受け、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。
第二次世界大戦中、ハワードは積極的にプロパガンダ映画に出演し、また、イギリスの戦争努力を支援するために多くの活動を行った。彼は1943年、プロパガンダ任務の一環でスペインからイギリスに帰国する途中、乗っていた飛行機がドイツ空軍によって撃墜され、命を落とした。彼の死は大きな衝撃を与え、彼が行っていた情報戦に関連する多くの謎が残っている。
1939年、停電中に自動車事故に遭い、顎を骨折し前歯3本を折った。
彼は不倫疑惑のあった秘書にビバリーヒルズの家を遺言で遺したが、彼女はハワードの死よりも前に亡くなっていた。
ハンフリー・ボガートは、舞台で『化石の森』に出演した後、映画版に出演するはずだったが、製作陣がエドワード・G・ロビンソンを起用する予定であると聞いたハワードが製作陣にボガートを強く勧めてくれた為にスターになったことを感謝しており、娘にレスリーと名付けている。
レスリー・ハワードは、優雅さと知性を兼ね備えた演技で知られ、彼の作品は今日でも多くの映画ファンに愛されている。彼の突然の死は、多くの人々にとって悲劇的な出来事であり、その影響は今もなお語り継がれている。
[出演作品]
1914 21歳
THE HEROINE OF MONS
1917 24歳
The Happy Warrior
1919 26歳
The Lackey and the Lady
1930 37歳
Outward Bound
1931 38歳
南の誘惑 Never the Twain Shall Meet
自由の魂 A Free Soul
1932 39歳
永遠に微笑む Smilin’ Through
婦人に御給仕 Service for Laides
1933 40歳
紅はこべ The Scarlet Pimpernel
1934 41歳
1936 43歳
化石の森 The Petrified Forest
ロミオとジュリエット Roeo and Juliet
1937 44歳
恋愛合戦 It’s Love I’m After
身代り花形 Stand-In
1938 45歳
ピグマリオン Pygmalion (監)
ヴェネツィア映画祭主演男優賞
1939 46歳
別離 Intermezzo: A Love Story
風と共に去りぬ Gone with the Wind
1941 48歳
潜水艦轟沈す 49th Parallel
Pimpernel Smith(製・監)
1942 49歳
迎撃戦闘機スピットファイア The First of the Few (製・監)
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